千鳥ヶ淵 は、皇居のお堀の一部で、靖国通りから北の丸公園に沿って約700mにわたって皇居を囲んでいます。徳川将軍の時代、江戸城拡張の際に城を取り囲むように造られた堀です。江戸時代には、ここで鳥狩りが行われていたことから「千鳥ヶ淵」と名付けられました。千鳥ヶ淵の歴史や見どころ、施設などをご紹介します。
千鳥ヶ淵 とは
麹町台の番町を水源とする局沢川の流れを半蔵門と田安門の高土橋で堰き止めて、千鳥ヶ淵を造り、田安門下の牛ヶ淵は清水門前の土橋で水位を保ち、江戸初期の飲料水の水源地でした。このように堰き止めてできた自然な大池は、人工の濠割と異なり「淵」と名付けています。名前の由来は渡り鳥の千鳥。形状が似ているからだとされています。
昭和27年には、文化財保護法によって小石川後楽園は特別史跡及び特別名勝に指定されました。同じく指定されている庭園は、都立庭園で2ヵ所、全国の庭園で9ヵ所となっており、都内はもちろん、全国的にも貴重な庭園です。
千鳥ヶ淵 の見どころ
九段坂から見た「千鳥ヶ淵」の石垣は、3段構造に造られています。1段目に「腰巻石垣」、2段目に「腹巻土塁」、3段目に約3メートルの「鉢巻石垣」は「土塁式石垣」となっています。
水深は1mほどです。コイやハゼ、ザリガニ、トンボなどが共生しています。千鳥ヶ淵交差点の右手には全長約700mの“千鳥ヶ淵緑道”とボート乗り場が、左手の半蔵濠沿いには“千鳥ヶ淵公園”が整備されています。ソメイヨシノやオオシマザクラ、ヤマザクラといった桜の名所として知られ、お花見シーズンは多くの人でにぎわいます。
千鳥ヶ淵 緑道
靖國通りの九段坂を濠沿いの角から、皇居西側の千鳥ヶ淵に沿って千鳥ヶ淵戦没者墓苑までの全長約700メートルが「千鳥ヶ淵緑道」と称される遊歩道です。 桜の時期になると多くの人が訪れるこの地は、明治30年前半の『東京名所図会』に桜の季節の散策が書かれており、この頃から桜の名所として賑わいを見せていた様です。ソメイヨシノやオオシマザクラなど約260本の桜は遊歩道を歩く人の頭上に咲き、まるで桜のトンネルの中を歩いているようで、全国的にも有名な桜の名所です。観桜期には、日本全国から100万人以上の人が訪れます。
インド大使館
千鳥ヶ淵緑道沿いに位置するプランツアソシエイツの設計によるインド大使館です。敷地は千鳥ヶ淵を東側に眺める素晴らしいロケーションとなっており、大使館でありながらガラスを多用した開放的なデザインです。中央のエントランスを挟んで大使館と文化センターの機能を配置させています。内部にはヨガ教室もあるようです。
千鳥ヶ淵 戦没者墓苑
同じく千鳥ヶ淵緑道沿いに位置する谷口吉郎氏の設計のよる前屋や六角堂、田村剛氏の設計による庭園の「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」。第二次世界大戦で多くの日本人兵士が海外の地において戦没しました。こちらには、遺族の手に渡せなかったご遺骨が埋葬されています。
代官町通り
竹橋まで続く「代官町通り」。明治33年(1900)に行われた代官町通りの整備によって、新たに土橋が設けられ、千鳥ヶ淵と半蔵濠に分けられました。皇居を一周する内堀通りを東西にショートカットする役割を果たしています。
英国大使館
千鳥ヶ淵交差点を越えると右手にグレイッシュホワイトの外壁と緑の屋根の重厚な建物は「英国大使館」です。古典様式を忠実に踏襲し、簡素化・近代化した英国デザインが特徴。こちらも名建築の一つと称される歴史ある建物です。英国工務局設計による現在の建物は1929年(昭和4年)に建てられたものです。
千鳥ヶ淵公園
千鳥ヶ淵公園は、皇居西側の千鳥ヶ淵と英国大使館に挟まれるように位置しています。千鳥ヶ淵緑道からは、代官町通りを越えた場所にあり、皇居半蔵門まで広がっています。
千鳥ヶ淵公園には、ソメイヨシノやヤマザクラなど約170本の桜があります。さくらまつり期間中は、千鳥ヶ淵緑道を訪れた人がこの公園まで散策し、たくさんの人々で賑わいます。
彫刻
メキシコの有名な彫刻家であるセバスティアン(エンリケ・カルバハル 1947ー)の作品。題名は《移住》(1997)です。対メキシコ日本人移住百周年記念(1897-1997)として、メキシコ国民より日本国民へ贈呈されました。
千鳥ヶ淵 へのアクセス
千鳥ヶ淵
所在地:東京都千代田区三番町2
都営新宿線 東京メトロ東西線・半蔵門線「九段下駅」2番出口より徒歩5分
東京メトロ半蔵門線「半蔵門駅」5番出口より徒歩5分
千鳥ヶ淵 の公式サイト
千代田区観光協会の公式サイト 千鳥ヶ淵のページは こちら