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建築

「 忍城 」利根川と荒川に挟まれた関東七名城

軍神上杉謙信に非礼をとがめられ、公然と対立した 忍城 主成田長泰

室町時代の後半、幕府の権威は地に堕ち、全国各地で下剋上の風潮が目立つようになりました。
関東でも鎌倉府が二つに分裂、堀越公方古河公方が争っていました。
忍城 が築城されたのは戦国時代前期の1478年の前後と考えられています。

現在の埼玉県行田市周辺を支配していた成田氏が忍一族を滅ぼして忍城を築城しました。
16世紀中ごろ、関東管領を引き継いだ上杉謙信が、小田原の北条氏とたびたび交戦。ついに、大軍を率いて小田原城を包囲します。成田長泰は謙信に服属し小田原に参陣しました。戦いの後、謙信は鶴岡八幡宮で関東管領就任式を上げます。

その時、謙信は長泰が下馬しなかった非礼をとがめました。長泰は、先祖が源義家にすら下馬せずにあいさつをした事例に基づきましたが、謙信としては面白くなかったのでしょう。領地をめぐっても謙信と対立したとも伝えられます。長泰は兵をひきいて忍城に籠城。

忍の浮き城の由来となった石田三成の水攻めに耐えた 忍城 の戦い

1590年、豊臣秀吉は天下統一の最終仕上げとして関東の北条氏を攻めました。
北条氏に仕えていた成田一族は、忍城に立てこもって豊臣軍と戦うことになります。
同年6月、館林まで進出した豊臣方の石田三成は忍城への攻撃を開始しました。

しかし、河川や沼沢地帯を利用した忍城の守りは固く、豊臣方は攻めあぐみました。
石田軍の苦戦を知った秀吉は、三成に忍城を水攻めにするよう命じます。
三成は近在の農民たちを多額の金銭や米を支払って動員、わずか4~5日で忍城を囲む堤防を作り上げます。
堤防を作った三成は、忍城周辺に利根川の水を引き込みました。

しかし、水は忍城の全てを水没させることはできず、本丸は水没から免れます。
その様子を遠くから見ると、まるで忍城が水の上に浮いているかに見えるので「忍の浮き城」の異名が与えられました。

結局、三成は忍城を落とすことができませんでした。

先に、北条氏の本城である小田原城が陥落し、忍城もそれに応じて開城します。
このあたりのお話は、映画『のぼうの城』でも放映されましたから、ご存知の方も多いのではないでしょうか?

毎年、10月になると行田商工会議所主催の「忍城時代まつり」が開催されます。忍城址や産業文化会館をメイン会場として行われるイベントです。祭のメインイベントは歴代忍城主の武者行列と火縄銃演武。

武者行列では勇壮な戦国絵巻のような世界が再現されています。2008年以降は、B級グルメ大会も同時に開催。毎年、多くの観光客でにぎわっていますよ。時代まつりに来た際は、本丸跡に再建された御三層櫓もご覧になってはいかがでしょうか。

忍城 へのアクセス

住所
・〒361-0052 埼玉県行田市本丸17-23

9:00~16:30(入館16:00まで)
※休業:月曜(祝日・休日は開館)、第4金曜日(テーマ展・企画展中は開館)、年末年始

(1)秩父線行田市駅から徒歩で15分
(2)JR高崎線吹上駅からバスで15分
(3)JR高崎線行田駅からバスで15分(観光拠点循環コース(右回り)水城公園下車)
水城公園から徒歩で10分

詳しくは行田市商工会のサイトなどでご確認ください。

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