ぶらり散歩で身近な日本史

散歩

ひとりの建築家が30年かけてつくった街並み・代官山

代官山という街には、ひとりの建築家の30年にわたる物語が刻まれています。

建築家・槇文彦(まき ふみひこ)が、旧山手通り沿いに少しずつ育てていった「ヒルサイドテラス」。1969年の第1期から1998年の最終期まで、約30年の歳月をかけて段階的に建てられた、世界的にも珍しい建築です。お隣に佇む立派な日本家屋・旧朝倉家住宅と肩を並べるように、低く、ゆったりと建てられた建物群が、代官山という街の品格をつくりあげました。

今日のぶらり散歩は、ひとりの建築家の足跡を追いかけながら、代官山の街並みをゆっくり味わうコースです。

今日のコース

A.(スタート)東急東横線 代官山駅 中央口
↓ 270m
B. 旧朝倉家住宅
↓ 140m
C. ヒルサイドテラス(A〜D棟)
↓ 200m
D. 猿楽神社
↓ 50m
E. デンマーク大使館
↓ 350m
F. ヒルサイドテラス(F〜H棟)と槇総合計画事務所
↓ 400m
G. ヒルサイドウエスト
↓ 600m
H.(ゴール)代官山駅

合計約2.0km(施設内の移動は含みません)

A. 東急東横線 代官山駅 中央口

散歩のスタートは、東急東横線の代官山駅です。

代官山散歩|Found Japan(ファウンドジャパン)

渋谷駅から各駅停車でわずか1駅、2分ほどで到着する小さな駅ですが、ここから一歩外に出ると、空気がすっと変わるのを感じます。高層ビルの少ない、空が広く感じられる街並み。それが代官山です。

中央口を出て、まずは旧山手通りの方向へ。今日歩く道は、ある建築家がその一生をかけて見守り続けた一本の通りです。

B. 旧朝倉家住宅 ― 物語の始まりとなる、日本家屋

代官山散歩|Found Japan(ファウンドジャパン)

代官山駅から歩いて4〜5分。八幡通りから少し入ったところに、緑に囲まれた立派な日本家屋があります。これが「旧朝倉家住宅」です。

大正8年(1919年)に建てられたこの邸宅は、元東京府議会議長を務めた朝倉虎治郎の住まいでした。木造2階建ての本格的な和風建築で、書院造を基本としながら大正期らしい意匠も取り入れられた、貴重な建物です。2004年には国の重要文化財に指定されました。

代官山散歩|Found Japan(ファウンドジャパン)

東京の都心、しかもおしゃれな代官山のど真ん中に、こんなにも立派な日本家屋がそのままの姿で残っている――。訪れた人の多くが、不思議な感覚を味わうのではないでしょうか。周りには洗練されたショップやカフェが並んでいるのに、ここだけは時間がゆっくりと流れている。日本の古き良き時代の象徴のような佇まいです。

そして、この旧朝倉家住宅こそが、これから歩いていく「ヒルサイドテラス」という物語の出発点でもあります。

ヒルサイドテラスの土地は、もともと朝倉家のものでした。1960年代後半、朝倉家がこの旧山手通り沿いの土地に新しい建物を建てようと考えたとき、選んだ建築家が槇文彦さんだったのです。そのとき槇さんは、すぐ隣に建つこの旧朝倉家住宅を見て、こう考えました――「この立派な日本家屋を、絶対に邪魔してはいけない」と。

ヒルサイドテラスがあの低く、控えめで、静かな佇まいになった理由のひとつは、ここにあります。

C. ヒルサイドテラス A〜D棟 ― 30年プロジェクトの始まり

旧朝倉家住宅を後にして、旧山手通りへ出ましょう。八幡通りと旧山手通りが交わる「鎗ヶ崎(やりがさき)」交差点。ここから渋谷方面へ続く緩やかな坂道沿いに、低層の建物がゆったりと並んでいます。これが「ヒルサイドテラス」です。

代官山散歩|Found Japan(ファウンドジャパン)

ヒルサイドテラスは、住居・店舗・オフィスが一体となった複合建築です。A棟からH棟までの8棟と、少し離れた場所にあるヒルサイドウエストの3棟、合わせて11棟の建物がこのプロジェクトの全体像です。

驚くべきは、この建物群が約30年かけて少しずつ建てられたということ。第1期のA棟・B棟が完成したのは1969年。最後のヒルサイドウエストが完成したのは1998年です。間に30年。これは一般的な再開発の常識からすると、考えられないほどのゆっくりとしたペースです。

なぜ、これほど時間をかけたのでしょうか。

その理由は、土地を持っていた朝倉家と、建築家・槇文彦さんが「急いで街をつくりたくない」と考えていたからです。代官山という街が、その時代ごとの空気を吸いながら、ゆっくりと成熟していくのを待ちながら、少しずつ建物を増やしていく。バブル景気で東京中の街が一気に作り変えられていった1980年代も、ヒルサイドテラスだけは、自分のペースを守り続けました。

A棟の角は、道路よりも一段低くなっています。ここから建物に入っていく形は、槇さんが「隅入り」と呼んだ日本の伝統的な空間の作り方を取り入れたもの。西洋の建物のように堂々と正面から入るのではなく、奥にそっと迎え入れられる感覚です。

建物の高さにも注目してみてください。旧山手通り沿いに並ぶ建物は、どれも10メートル前後に抑えられています。これは、お隣の旧朝倉家住宅や、通りに並ぶケヤキの巨木よりも低い高さです。槇さんは、人と街並みのスケール感を、何よりも大切にしました。

ベンチに座って少し休んでみてください。建物と空と緑のバランスが、不思議と心地よく感じられるはずです。

D. 猿楽神社 ― 古墳の上にひっそりと佇む祠

ヒルサイドテラスのA棟とB棟の間に、緑に包まれた小高い丘があります。これが「猿楽神社」です。

代官山散歩|Found Japan(ファウンドジャパン)

実はこの丘、ただの丘ではありません。古墳時代後期(6世紀末から7世紀初頭)に作られた円墳なのです。「猿楽塚(さるがくづか)」と呼ばれるこの古墳が、「猿楽町」という地名の由来にもなっています。

ヒルサイドテラスを設計するにあたって、槇さんと朝倉家は、この古墳を絶対に壊さないことを決めました。普通の開発なら、邪魔な丘は削って平らにしてしまうところです。しかし槇さんは、この古墳を中心に建物を配置し、丘そのものを敷地の一部として大切に残しました。

小さな祠の前に立つと、ここが1500年以上前の古墳の上だということを思い出します。代官山という街には、こんなにも深い歴史が、何気なく息づいているのです。

E. デンマーク大使館 ― もうひとつの槇文彦作品

ヒルサイドテラスのすぐ隣に、白い壁が美しい建物があります。これが「デンマーク大使館」です。

代官山散歩|Found Japan(ファウンドジャパン)

実はこの建物も、槇文彦さんの設計によるものです。1979年に完成しました。

なぜデンマーク大使館がここに?という疑問が浮かびますね。話は、朝倉家がこの土地を売却するときにさかのぼります。朝倉家は、ヒルサイドテラスと調和する街並みを守りたいと考え、土地を買う相手にひとつの条件を出しました。それは「槇文彦さんに設計を任せること」。

デンマークは、その条件を受け入れて土地を取得し、大使館を建てました。だからこそ、ヒルサイドテラスとデンマーク大使館は、まるで兄弟のように似た雰囲気を持っているのです。

建物の高さ、白を基調とした色合い、低層でゆったりとした佇まい。同じ建築家の手によるものだと知ると、街並みの統一感の理由が見えてきます。槇さんが作りたかったのは、ひとつの建物ではなく、ひとつの街だったのです。

F. ヒルサイドテラス F〜H棟と槇総合計画事務所 ― 時代の変化を受け止めて

デンマーク大使館を後にして、もう少し旧山手通りを渋谷方面へ進んでいきましょう。同じヒルサイドテラスでも、A〜D棟と比べると少し雰囲気が違うことに気付かれるかもしれません。これが、第4期から第6期にあたるF棟・G棟・H棟です。完成は1985年から1992年。最初の建物から、すでに15年以上の時間が流れていました。

代官山散歩|Found Japan(ファウンドジャパン)

街は変わります。時代も変わります。1980年代後半、東京はバブル景気の真っ只中。代官山の周辺でも、土地の使い方に関するルールが少しずつ変わっていきました。それまで「高さ10メートルまでしか建てられない」とされていた土地でも、後期にはもう少し高い建物を建てられるようになったのです。

普通の建築家であれば、ここで「もっと高く、もっと大きく」と建物を作るところでしょう。しかし槇さんは違いました。建物の高さは確かに少し上がりましたが、通りに面した部分の高さは、最初のA棟・B棟と同じ10メートルに揃えることを選びました。さらに、高くなった部分は奥に引っ込めて(これを「セットバック」と言います)、通りから見たときに圧迫感を感じないようにしたのです。

代官山散歩|Found Japan(ファウンドジャパン)

時代が変わっても、最初に決めた「街並みのリズム」を守り続ける。これは、簡単なようでとても難しいことです。30年間、同じ気持ちで街を育て続けた槇さんの誠実さが、ここに表れています。

ちなみに、ヒルサイドウエストには槇さんの設計事務所「槇総合計画事務所」が現在も入っています。建築家が、自分の手がけた街並みのなかで仕事をする。これもまた、ヒルサイドテラスならではの風景です。

G. ヒルサイドウエスト ― 30年プロジェクトの集大成

旧山手通りをさらに進んでいくと、少し離れた場所に「ヒルサイドウエスト」があります。1998年に完成した、ヒルサイドテラス全体の最終章です。

1969年にA棟・B棟が完成してから、ちょうど29年後。槇文彦さんが70歳になった年に、この30年に及ぶ長いプロジェクトは完成を迎えました。

ヒルサイドウエストの建物は、本体のヒルサイドテラスから少し離れているものの、同じ家族のような佇まいを持っています。低く、白く、街に開かれた建物。槇さんが30年前に大切にした考え方は、最後までぶれることがありませんでした。

ここまで歩いてくると、街並みの「リズム」のようなものが、自然と体に染み込んでいることに気付くかもしれません。建物の高さ、緑との関係、通りからの距離感。すべてが心地よい。それは偶然ではなく、ひとりの建築家が30年かけてつくりあげた「設計」なのです。

ちなみに、世界の建築家たちにアンケートを取ったところ、「20世紀でもっとも学ぶべき建築」として、ル・コルビュジエの「サヴォア邸」と並んで、このヒルサイドテラスが選ばれたことがあります。代官山に何気なく並ぶこの建物群は、実は世界の建築史に名を残す名作なのです。

H. ゴール 代官山駅

ヒルサイドウエストから旧山手通りを引き返し、八幡通りを通って代官山駅へ戻ります。

歩いてきた道を振り返ると、なんとなく見ていた街並みが、まったく違って見えるはずです。旧朝倉家住宅とヒルサイドテラスとデンマーク大使館が、まるで会話をするように並んでいる。ケヤキの大木と建物の高さがぴたりと合っている。建物の入口が、すっと奥へ誘うように配置されている。

すべてに、ひとりの建築家の眼差しが宿っています。

建築家・槇文彦が遺した街

代官山という街を歩いていると、不思議と心地よさを感じます。それは、ひとりの建築家が、土地の記憶と人の暮らしを大切にしながら、30年かけてゆっくりと育てた街だからかもしれません。

建物の高さ、外への開かれ方、お隣との関係。すべてに、槇文彦という人の眼差しが宿っています。

2024年6月、槇文彦さんは95歳でこの世を去りました。プリツカー賞をはじめ、世界中の建築賞を受賞し、日本を代表する建築家として活躍された方でした。ヒルサイドテラスのほかにも、青山のスパイラル、千葉の幕張メッセ、ニューヨークの4ワールドトレードセンターなど、誰もが知る建物を数多く手がけられました。

でも、槇さんが最も愛し、最も時間をかけたのは、この代官山の街だったのではないでしょうか。

槇さんは旅立たれましたが、代官山の街並みは、これからも私たちの暮らしのそばで、静かに息づいていきます。建築家が30年かけて種をまき、街がその種を育てた。そんな物語を感じながら、次の散歩では、また少し違う表情の代官山に出会えるかもしれません。

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