ぶらり散歩で身近な日本史

さんぽ

日本初のテーマパーク、 上野公園 をさんぽ

A.JR上野駅

B.不忍池

上野恩賜公園敷地内の南端に位置する広さは約11万㎡の天然の池。ハスの葉がぎっしりと水面を多い尽くす蓮池、ボートを借りて池の上でのんびり過ごすことのできるボート池、鵜池の3つに分かれています。

上野さんぽ|Found Japan
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C.不忍池 辯天堂

琵琶湖に浮かぶ竹生島は弁才天の弁才天信仰の中心地として信仰を集めています。不忍池辯天堂は、寛永寺を開いた天海僧正が、不忍池を琵琶湖に島を竹生島に見立てて建立した堂です。
現存する不忍池辯天堂は空襲によってい焼失し、昭和33年に再建されました。

上野さんぽ|Found Japan
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D.清水観音堂

寛永8年(1631)、寛永寺開山の天海僧正が京都の清水寺を模して建立。元禄7年(1694)に、寛永寺の根本中堂が建設されるに伴い、現在地に移築されました。上野の山に現存する建築年が明確なものでは最古の建造物です。

京都の清水寺と同じ舞台造りで、広重の浮世絵に描かれ、名所江戸百景にもなっている「月の松」があります。

E.花園稲荷神社

天海僧正が寛永寺建立の際、狐の棲み処を奪ってしまった事を哀れみ、一洞をつくり、そこに祠をたてて祀ったものといわれています 。

石鳥居をくぐると、稲荷神社のいくつも連なる赤い鳥居が続き、鳥居を抜けた先には、本殿と子狐を抱えた母親狐の狛狐。奥には穴稲荷もあります。

F.上野大仏

寛永8年(1631年)に初代の大仏ができてから、度々の地震や火災で幾度となく破壊され、第二次世界大戦では金属供出令により胴体を国へ供出。面部のみが寛永寺に遺りました。

関東大震災50回忌となる昭和47年(1972年) 、ご尊顔が元の大仏山に戻り現在の姿になっています。”これ以上落ちない”ことから、受験の合格祈願のパワースポットになっています。

パコダ(仏塔)

1967年、大仏再建の願を込めて上野観光連盟が建立した仏塔。内部には、薬師如来・月光菩薩・日光菩薩が安置されています。この薬師三尊像は、江戸時代末まで上野東照宮境内にあつた薬師堂の本尊だったもので、明治初期の神仏分離令により寛永寺に移管、さらにパゴダの本尊として迎えられました。

G.上野東照宮(旧寛永寺)五重塔

1631(寛永8)年に上野東照宮の塔として建立された五重塔は、8年後に花見客の失火で焼失しました。現存する塔は、その直後に再建されたものです。その後明治政府による「神仏分離令」により、神社としての塔は認められず、寛永寺の管理下になりました。1958(昭和33)年に「寛永寺」から東京都に寄付され、現在は動物園の中に位置しています。国の重要文化財に指定されています。

H.寛永寺根本中堂

徳川家康、秀忠、家光の帰依を受けた天海僧正により寛永2年(1625年)創建、その中心となる堂宇が元禄11年(1698年)建立の根本中堂です。今の上野公園の大噴水の地に建っていましたが、幕末の上野戦争で焼失。その後現在地に移転再建されています。

上野さんぽ|Found Japan
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I.寛永寺 開山堂(両大師)

東叡山の開山である慈眼大師(じげんだいし)天海大僧正と、天海僧正が尊崇していた慈惠大師良源大僧正もお祀りしているところから、〝両大師〟と呼ばれています。

天海僧正は、信長により焼討された比叡山延暦寺の復興を命じられたのち、現在の根本中堂を始めとして多くの堂宇を再建しました。

天海僧正の江戸に比叡山を造るという夢は、幕末の新政府軍と旧幕府軍の戦い「上野戦争」による旧幕府軍の敗北により終焉し、敷地の大部分が上野公園となりました。

門扉には上野戦争の際の官軍の攻撃による弾痕が残っています。

ルートのおさらい

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