『 太宰府天満宮 』ってどんな神社?創建された理由は道真公の祟り!?
『 太宰府天満宮 』は福岡県太宰府宰府市にある神社です。
創建は919年(平安時代中期)で、太宰府天満宮は全国にある天満宮・天神社の総本社です。
※建てられた当時の社名は安楽寺天満宮
※太宰府天満宮・北野天満宮・防府天満宮を「日本三大天神」と呼びます
そんな『 太宰府天満宮 』に祭神として祀られているのが、学問の神・菅原道真公です。
現在では学問の神様と親しまれていますが、太宰府天満宮が立てられたのは菅原道真の祟りによるものでした。
もともと菅原道真は宇多天皇・醍醐天皇に仕えた忠臣でしたが、政敵であった藤原時平の讒訴(ざんそ、嘘の告発)によって、901年に九州の太宰府に左遷(追放)させられてしまいます。
そして、菅原道真は903年に太宰府で亡くなりました。
ところが、菅原道真の死から6年後に藤原時平が病死(39歳)すると、朝廷内では「道真の祟り」と恐れられ、その御霊を鎮めるために建てられたのが『安楽寺天満宮(太宰府天満宮になったのは明治時代)』です。
その後、鎌倉・南北朝・室町前期までは「祟り神」として伝えられてきましたが、室町中期頃になると、道真が生前は優れた学者であったことから「学問の神」として親しまれるようになりました。
『 太宰府天満宮 』には本殿をはじめ美しい建造物や見所がたくさん!
まず、参拝者を迎えてくれるのが「御神牛」です。
なぜ牛なのかと言うと、菅原道真が丑年生まれであったことや御本殿創建の聖地が牛とのご縁があったからだそうです。
この「御神牛」の頭を撫でると知恵が授かると言われています。
そして、1番の見所は「御本殿」です。
この「御本殿」は、道真公の墓所に藤原仲平が醍醐天皇の命で社殿を造営したものです。
その後は戦禍によって何度か焼失してしまいますが、戦国時代に筑前国主の小早川隆景が再建し、現在まで残っています。
築400年以上の「御本殿」は重要文化財に指定されています。
他にも、御本殿の手前にある「楼門」は御本殿側と太鼓橋側で違う形状をしているので、参拝の行きと帰りで観てみてください。
また、太宰府天満宮には「飛梅」と呼ばれる梅の木があり、神木として知られています。
梅と言えば、新元号「令和」の典拠となった『万葉集』の一場面「梅花の宴」が有名になりました。
この「梅花の宴」が催されたのは太宰府の大伴家持の邸宅と言われていますが、太宰府全体が梅の木が有名なので、ぜひ観てみてください。
太宰府天満宮 へのアクセス
《所在地》
〒818-0117 福岡県太宰府市宰府4-7-1
《アクセス》
・🚋…西鉄太宰府線太宰府駅から徒歩5分
・🚗…九州自動車道太宰府I.Cから15分/九州自動車道筑紫野I.Cから20分
太宰府天満宮 の駐車場情報
公式サイト
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公式サイトは こちら