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「西教寺」明智光秀ゆかり

西教寺(さいきょうじ)」は滋賀県大津市坂本にある天台真盛宗(天台系仏教の一派)の総本山寺院で、延暦寺で有名な比叡山の東麓にあります。正式名称は「天台真盛宗総本山 戒光山 兼法勝西教寺(けんほっしょうさいきょうじ)」といいます。

「西教寺」の寺紋になっている”三羽の鳥”

左右対称で二羽、上に正面一羽の構図になっているこの鳥は「雀」。天台真盛宗の紋章は「三羽雀」…宗派の紋章ということです。

西教寺_foundjapan

「西教寺」は聖徳太子によって創立され、僧・真盛によって復興

現在は天台真盛宗の総本山として存在する「西教寺」ですが、伝承によると創建したのは聖徳太子といわれています。
ただ、聖徳太子が創建したと断言できる史料はなく、後世に書かれた『西教寺縁起』や近世の地誌などに記されている程度で、言い伝えといわれています。
そんな「西教寺」を栄えさせたのが室町時代の1486年に入寺した真盛という僧です。

真盛は「中興の祖」として知られており、19歳で延暦寺に入り以後20年の間修行に励みます。
1485年の下山後は説法の名手として有名となり、宮中で行った講義には皇族や公卿も臨席したといわれています。
また、「西教寺」への入寺以降は復興と布教に力を入れ、天台真盛宗の総本山としました。

織田信長の焼き討ちに遭い領主となった明智光秀によって再興

1571年に比叡山一帯は織田信長によって焼き討ちにされてしまいます。
この際、西教寺も延暦寺などと一緒に焼き討ちにされ、僧侶・僧兵のみならず寺に逃げ込んでいた女性や子どもらも惨殺されてしまいます(被害者は多くて4千人ともいわれている)。
焼き討ち後、西教寺があるこの坂本には織田家臣で2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公でもある明智光秀が入りました。
明智光秀は焼き討ちに参戦した1人でありましたが、坂本を与えられると坂本城を拠点に比叡山周辺の復興に取り組み、とくに地理的に近かった西教寺は光秀の援助を一番にうけることになり、後には明智光秀の菩提寺となります。
また、西教寺には明智光秀に関する貴重な品もあり、明智光秀が戦死した部下の供養のため、西教寺に寄進米を寄進した際の寄進状(非公開)が残っています。

西教寺_foundjapan

「西教寺」の紹介

明智光秀の菩提寺である西教寺には見ておきたい建造物などが多数あります。

まずは「本殿」です。
この「本堂」は1571年の焼き討ちの3年後に再建された本堂を1739年に改築したもの(紀州徳川家からの寄進)で、国の重要文化財に指定されています。
内部には本尊の「阿弥陀如来座像(重要文化財)」が安置されています。

次は「客殿」です。
この「客殿」は伏見城にあった旧殿を1598年に移築されたもの(寄進したのは大谷吉継の母)で、桃山様式として重要文化財に指定されています。
内部には狩野永徳筆の襖絵や重要文化財に指定されている薬師如来像座像があります。

他には明智光秀が坂本城から移築させた「総門」、小堀遠州(豊臣秀吉や徳川家康に仕える)作の庭園などがあります。
また、明智光秀の菩提寺と言うこともあり「光秀公の墓」や「妻・熙子ら明智一族の墓」などもあります。

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アクセス

・〒520-0113 滋賀県大津市坂本5丁目13番1号

  • JR湖西線「比叡山坂本駅」から江若バスで「西教寺」で下車。
  • 京阪電車「坂本駅」から江和バスで「西教寺」で下車
  • 湖西道路「滋賀里ランプ」より約10分、「坂本北IC」より約5分

オフィシャル
http://saikyoji.org/

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