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「本圀寺」日蓮宗の大本山

『本圀寺』ってどんな寺院?かつては「西の祖山」と呼ばれた寺院

本圀寺(ほんこくじ)』は京都市山科区にある日蓮宗(開祖は日蓮)の大本山寺院です。
もともとは法華堂として1253年に鎌倉の松葉ヶ谷(まつばがやつ、現在は鎌倉市大町名越に含まれる)に創建され、1345年に光明天皇(北朝第2天皇)から京都の六条堀川の寺地を与えられ移転しました。

京への移転後は「西の祖山」と呼ばれ、朝廷や足利将軍家から庇護を受けました。
祖山とはその宗派の総本山や大本山のことを指し(宗派によって違う)、1281年に日蓮が甲斐国に開山した久遠寺は「東の祖山」と呼ばれています。
現在は日蓮宗の寺格では久遠寺が総本山(祖山)で本圀寺は大本山となっています。

1591年には豊臣秀吉の命令で寺地の一部の割譲を余儀なくされますが(西本願寺の造立のため)、1615年には徳川家康によって寺地は安堵されました。
1969年に現在の山科区に移転します。
ちなみに創建当時の寺名は「本国寺」でしたが、1685年に水戸藩主・徳川光圀(水戸黄門)から「圀」の字をもらい「本圀寺」に改めました。

将軍・足利義昭の仮御所となった『本圀寺』

現在は山科区にある『本圀寺』ですが、もともとは平安京(794年~1869年までの日本の首都)の六条堀川に位置(六条本圀寺とも呼ばれる)していたこともあり、京を訪れる人々の宿泊地にもなっていました。
1568年に織田信長の助けで上洛した将軍・足利義昭の仮御所(六条御所)となります。
翌1569年1月に,本圀寺の変(三好三人衆が足利義昭を襲撃した事件)が起きます(本圀寺自体は損傷を免れる)。
この事件を受け、織田信長は足利義昭の御所として二条城の築城を開始、その材料として本圀寺の一部建物を解体し二条城築城に使いました。
さらには、本圀寺が所持していた屏風や絵画なども持って行ったといわれています(京にある寺院などから襖や庭石なども)。
このシーン(本圀寺の変や二条城の築城)は2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』(28話、29話)でも描かれています。

ちなみに足利義昭の御所となった二条城は、現在の二条城(大政奉還が行われた場所)とは”別もの”です。
区別するために足利義昭の御所を旧二条城と呼んでいますが、現在はこの旧二条城があった場所に碑がたっています。

アクセス

〒607-8403 京都市山科区御陵大岩6

京都市営地下鉄東西線「御陵(みささぎ)」駅から徒歩10分
京阪バス「御陵」駅から徒歩12分

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