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「島原城」島原の歴史が学べる

「島原城」ってどんな城?島原藩の藩庁として栄えた島原の名城

島原城」は長崎県島原市にあった城です。
現在は長崎県指定の史跡(島原城跡公園)として保存され、城内には天守(歴史資料館)や櫓・塀が復元されています。

1624年に肥前日野江藩藩主・松倉重政によって築城され、築城とともに日野江城に変わり島原藩(もとは日野江藩)の藩庁となりました。
以後、1871年の廃藩置県までの約240年のあいだ長崎藩の藩庁として栄え、5家19代(松倉家2代、高力家2代、深溝松平家13代、戸田家2代、※日野江藩時代は有馬家2代)が藩主となりました。
最後の藩主である松平忠和は15代将軍・徳川慶喜の異母弟であり、戊辰戦争では新政府方についていました。

1874年に廃城令によって天守および櫓が壊されますが、1960年代から1980年代にかけて天守や櫓が復元され現在のような姿になりました。
2016年には城跡が長崎県の指定史跡に指定されました。

江戸時代最大の一揆“島原の乱”が勃発!鎮圧の拠点となった島原城

1637年に島原半島(島原藩内)および天草諸島(唐津藩内)の領民が圧政やキリシタン弾圧をする両藩に対して一揆を起こします。
世に言う“島原の乱”です。

一揆軍は17歳の天草四郎時貞を総大将に担ぎ、浪人(島原の旧大名でキリシタン大名でもあった有馬氏の元家臣)らの指導もと組織化された大規模な勢力(約3万7千)となり、島原城から南西約20kmの場所にあった廃城の原城(有馬氏の元居城)に籠城しました。

これに対して幕府は老中・松平信綱を中心に討伐軍を組織し総勢12万5千人の兵を送り、さらにはオランダ戦艦からの海上砲撃の協力を得ましたが、一揆軍の抵抗は激しく乱は2ヶ月経っても鎮圧できませんでした。
最終的には包囲による兵糧攻めを行い、乱の勃発から4ヶ月後の1638年4月に原城を落城させ一揆を鎮圧しました。
この際、一揆軍は皆殺しにされました。
一方、幕府軍は上使(江戸幕府が派遣した使者)の板倉重昌が討ち取られるなどし、死傷者も8000人以上出す大打撃を受けました。
また、一揆の原因を作った島原藩主・松倉勝家は斬首刑に処されました(江戸時代で唯一斬首刑に処された大名となる)。
この一揆は大坂の陣(1614年、1615年)から戊辰戦争(1868年)が始まるまでの中で、幕府が経験した最初で最後の本格的な戦争となりました。

天守や櫓で島原の歴史を学ぼう!内部は史料館や記念館として整備

現在、城内にある天守や櫓は戦後に復元され史料館や記念館となっています。
島原城のメインである「天守閣」は歴史資料館となっており、キリシタンや島原藩の藩政に関する資料が展示されています。

キリシタン大名・有馬晴信の南蛮貿易政策やキリシタンの迫害、そして幕末までの島原藩の歴史が学べます。
有名な天草四郎の肖像画もここで見られます。
「観光復興記念館」は1991年に噴火した雲仙普賢岳(島原城の西にある山)の被害やその後の復興についての映像が見られるシアタールームとなっています。

「民具資料館」は明治、大正、昭和の暮らしが分かる多数の民具(時計や食器)が展示されています。
これらの施設で島原の歴史に触れてみてください。

アクセス

〒855-0036 長崎県島原市城内1丁目1183−1

島原鉄道線「島原駅」から徒歩5分。

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