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庭園

「 有楽苑 」信長の弟・織田有楽斎

織田信長の弟である織田有楽斎(1547~1621)の波乱万丈の生涯!!

有楽斎は、織田信秀の十一男で織田信長の実弟として天文16年(1547)尾張に生まれ、通称を源五郎、名を長益(ながます)といい、出家してから有楽斎如庵と号しました。
本能寺の変で兄信長が倒れたあと、豊臣秀吉の配下となり己の地位を安泰にしました。

有楽斎は秀吉の側室・淀殿の叔父にあたり、後見人として淀城にいました。関ヶ原の戦い後に功績を徳川家康から禄を与えられ、豊臣秀頼の補佐役として大坂城にいました。
大坂の陣で和平に奔走するも不調で終わり、京都に隠棲しました。

京都では、荒廃していた建仁寺頭(たっちゅうしょうでんいん)を再興し、その中に自身の隠居所を設けました。
如庵はそこに造られた茶室であり、書院は有楽が晩年起所した隠居所です。

数奇な生涯を辿るかのように各地を転々とした 有楽苑 の開苑まで

京都府の窮民産業所の設立計画とともに明治6年(1873)正伝院は永源院に合併されることになり、如庵・書院をはじめ正伝院の遺構はすべて祇園町の有志に払い下げられ、有楽館と名付けられ、集宴所となりました。

やがて有楽館の経営も困難になり明治41年に売却が決まり、如庵とその露地および書院は三井家が入手します。如庵は昭和11年(1936)国宝に指定されました。
また、書院は同26年に重要文化財に指定されます。

昭和45年(1970)如庵ならびに書院とその付属建物は名古屋鉄道の所有となり、犬山城下の佳境に移築されます。
この地を有楽斎の名に因んで「 有楽苑 (うらくえん)」と名付けて昭和47年に開苑しました。

犬山が誇る日本庭園「 有楽苑 」の茶室および書院等を紹介!

如庵(じょあん):国宝

柿葺の端正な外観を示すこの茶室の内部は二畳半台目で床脇にウロコ板を入れ斜めの壁を作っているところから「筋違いの囲」といわれています。
古暦を腰貼りにした暦貼り、竹を詰め打ちにした有楽窓、躙口の位置等随所に独創的な工夫がこらされています。

旧正伝院書院(しょうでんいんしょいん):重要文化財

元和4年(1618)如庵に隣接して建てられた有楽斎の隠居所で入母屋造の温和な外観を示し、南側の主室は茶座敷にもふさわしい構えとなっています。
内部に残る長谷川等伯(1539~1610)・狩野山雪(1590~1651)などの襖絵は美術史上貴重な資料です。

元庵(げんあん)

有楽が大阪・天満に構えた茶室を古図にもとづいて復元されました。
三畳台目の茶室内部は奥に深い間取りで、亭主床と呼ばれる床構えになっています。

有楽苑 へのアクセス

国宝茶寮 如庵 有楽苑(こくほうさりょう じょあん うらくえん)
〒484-0081 愛知県犬山市御門先1番地
℡0568-61-4608

名鉄犬山線犬山遊園駅から徒歩8分(名鉄名古屋駅から約40分)

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