”徳川家康公生誕の地”「 岡崎城 」は家康の祖父が本拠とした城
「 岡崎城 」は愛知県岡崎市にあった城で、現在は公立公園である岡崎公園にあります。
岡崎城の起源は1452年頃に西郷氏によって龍頭山(小高い丘)に築かれた砦が起源と言われています。
1531年に安祥城の松平清康がこの砦を奪取し、改修などの整備をして岡崎城としました。
以後、松平清康は岡崎城を新たな本拠地として三河国の統一を目指しました。
この松平清康こそ江戸幕府を開いた天下人・徳川家康の祖父です。
松平清康は12歳という若さで家督を継いで以降、20歳までには西三河や東三河まで勢力を広げ、さらには隣国である尾張国まで兵を進めました。
しかし、1535年の尾張織田攻めの最中で家臣の裏切りにより25歳という若さで亡くなります。
清康死後の1549年には後を継いだ広忠も24歳で死亡、松平氏は次第に勢力を落として行くことになります。
徳川家康の天下統一への道を開いた「 岡崎城 」
1543年に、この岡崎城で松平広忠の子として徳川家康(幼名は竹千代、初名は松平元信)が生まれます。
後に江戸幕府を開き天下統一を成し遂げる徳川家康ですが、幼少期は織田家(約2年)や今川家(約10年)で人質生活を送っていました。
1560年に桶狭間の戦いが起き主君の今川義元が敗死すると、家康に大きな転機が訪れます。
今川方として参戦していた家康は今川義元が討たれると故郷の岡崎城に撤退します。
そして、この岡崎城で当時19歳であった徳川家康は今川家から独立し、天下統一への道を進んでいくことになります。
園内には家康に関係する物が多々あります。
家康が生まれた際に使われた「家康公産湯の井戸」、家康の幼少期から晩期までの姿を表した銅像「竹千代像」「松平元康像」「徳川家康公像」が見られます。
復興天守内には歴史資料館がある!展示物やジオラマで歴史を学ぼう!
現在、岡崎城にある天守は1959年に復元された鉄筋コンクリート製の復興天守です。
岡崎城は江戸時代には岡崎藩の藩庁が置かれ、「神君出生の城」と神聖視されていましたが、明治維新での廃城令により天守を含めたほとんどの建造物は壊されてしまいました。(石垣や堀は残る)
しかし、地元民の思いから1959年に天守が再建され岡崎城の象徴となり、2006年には日本100名城に選定されました。
現在の天守内は歴史資料館となっており、江戸時代の藩政、城下町、歴代藩主の歴史が学べるようになっています。
そして、天守の最上階は展望室となっており岡崎の町が一望できます。
「 岡崎城 」へのアクセス
〒444-0052 愛知県岡崎市康生町561-1
開館時間:午前9時から午後5時 ※入館は午後4時30分まで
休館日:12月29日~12月31日
電車
・名鉄名古屋本線「東岡崎」駅から徒歩15分
・愛知環状鉄道「中岡崎」駅から徒歩10分
バス
・東岡崎駅より名鉄バスで「康生町」下車。徒歩5分。
・JR岡崎駅より名鉄バスで「厚生町」下車。徒歩5分。
公式ホームページ
https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/feature/okazakijo/top