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真言宗の聖地「 高野山 」と「金剛峯寺」

「 高野山 」ってどんなところ?弘法大師が開いた仏教都市

高野山 』は、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1000mある山々に囲まれた標高800mにある平坦な地のことを指しています。

816年に真言宗の開祖・空海(弘法大師)が、天皇よりこの地を賜ると修行する場として開創(寺院を創建すること)したのが始まりとされています。
その後、空海は弟子に命じて多くの伽藍(寺院)を建立させ、空海の死後もその弟子たちが長年にわたり多くの寺院を建立しました。
現在では金剛峯寺を中心に100以上の寺院があり、藤原道長や白河上皇といった権力者たちも参詣しに来ました。

ちなみに、「高野山金剛峯寺」とは空海が名付けた寺号で、高野山全体を指す名称です。
また、高野山全体が境内となります(「一山境内地」と言います)。

「 高野山 金剛峯寺」の見所は?「大門」や「壇上伽藍」がある西地域

まず、 高野山 に来たときに参拝者を迎えてくれるのが高野山の正門と呼ばれる「大門」です。※「大門」は重要文化財
この「大門」は1705年に再建されたもので高さが25mもあります。

左右には日本で2番目に大きい巨像・金剛力士像が参拝者を迎えてくれます。
「大門」をくぐり、東に進むと今度は「壇上伽藍(だんじょうがらん)」が見えてきます。

この「壇上伽藍」は空海が開創したときに、1番先に整備した場所です。

「中門」という楼門をくぐると、目の前に建っているのが「金堂(こんどう)」という建物で、高野山の総本堂となっています。
そして、「金堂」の右奥にある朱色の美しい建造物は「大塔」と呼ばれるものです。

この建物は「根本大塔」とも呼ばれ真言密教のシンボル的な建造物で、堂内は立体の曼荼羅となっています。※曼荼羅とは仏教(とくに密教)で考えられている世界を絵で表したもの
他にも、建造物では「愛染堂」「不動堂」「勧学院」があり、自然の物では「対面桜」や「蓮池」などが見られます。

「 高野山 金剛峯寺」の見所は?高野山真言宗の総本山・金剛峯寺地域

次の見所は「金剛峯寺」地域です。
この「金剛峯寺」は明治時代に青厳寺と興山寺が合併してできた寺院で、高野山真言宗の総本山です。

まず、参拝者を迎えてくれるのが「正門」です。
この「正門」は、昔は天皇・皇族・住職しかくぐれなかったといわれています。
「正門」をくぐり正面に見えるのが「主殿」です。
「主殿」には、重要な儀式や法要が行われる大広間、本尊や歴代天皇・歴代座主の位牌がおまつりされている持仏間があります。
また、「主殿」を見に来た際には屋根を見てください。

主殿の屋根には桶が置かれていますが、これは「天水桶」と言い、檜皮葺でできている屋根が火災などで燃えた際に、この桶に溜めてあった雨水で屋根を湿らせて延焼を食い止める働きを持っていました。

「 高野山 金剛峯寺」の見所は?弘法大師が亡くなった「奥の院」地域

最後に必ず行って欲しい場所が「奥の院」です。
「奥の院」は高野山の1番東側にあるところで、弘法大師が亡くなった場所として知られています。

「金剛峯寺」から東に向かうと「一の橋」という橋があり、この橋を渡って約2kmの参道を歩いた先に弘法大師の「御廟」があります。
また、「御廟」に向かうまでの参道には約20万基を越える墓石や供養塔・慰霊碑が立ち並んでいます。
これらの中には、武田信玄・上杉謙信・織田信長・豊臣秀吉・伊達政宗といった有名な戦国武将の供養塔や戦争で亡くなった戦没者の慰霊碑も建っています。
自分の知っている人物のを探してみるのもいいかもしれませんね。

『 高野山 金剛峯寺』への行き方

《所在地》
〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山600番地

《アクセス》
・🚋…南海高野線『極楽橋』駅で下車。高野高野山ケーブルで『高野山』駅へ。
・🚌…高野山内はバスでも移動できます。

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