ぶらり散歩で身近な日本史

神社仏閣

「根来寺」新義真言宗の総本山

根来寺」ってどんな寺院?真言宗中興の祖・覚鑁によって創建

根来寺」(ねごろじ)は和歌山県岩出市にある新義真言宗の総本山寺院で、1130年に真言宗の僧・覚鑁(かくばん)によって建てられたお堂が始まりと言われています。

覚鑁は20歳より高野山で修業し、その後、鳥羽上皇からの保護もあり1134年には真言宗の総本山であった金剛峯寺の座主に就任します。
座主となった覚鑁は当時天災などで荒廃していた高野山の復興に努め、真言宗開祖・弘法大師の教義(宗教の教え)を再び広げようとします。

しかし、1140年に覚鑁の教義に反対していた派閥が覚鑁一門の寺院を焼き討ちするという事件(錐もみの乱)を起こすと、覚鑁は高野山を下りることを決断し現在の場所(岩出市)に移りました。
覚鑁はこの地で新しい教義を広め新義真言宗の始祖となり、円明寺を中心に根来寺を形成していきました。
覚鑁の入滅(釈迦や高僧の死)から約140年後の1288年に真言宗の僧・頼瑜(らいゆ)が教義の場を高野山から根来に設け、新義真言宗の拠点が根来となりました。

根来寺_foundjapan

戦国時代には“根来衆”を組織!織田信長や徳川家康のもとで活躍

根来寺」は室町時代末期に寺領が72万石になるなど最盛期を迎え、根来を中心に一大宗教都市を形成します。
この頃より1万人規模の僧兵からなる“根来衆(ねごろしゅう)”と呼ばれる軍事集団を擁するようになります。

根来衆は火縄銃を装備した鉄砲隊を主力とし、石山合戦(1570年)や雑賀攻め(1577年)では織田信長に味方し活躍します。
1582年には織田信長が京で行った大規模パレード(京都御馬揃え)にも参加したといわれています。

織田信長の死後に起こった小牧・長久手の戦い(1583年)では徳川方に味方したことから、1585年には羽柴秀吉による紀州攻めを受け大師堂や大塔など数棟を残しほとんどが焼け落ちてしまいました。
江戸時代に入ると紀州徳川家の庇護を受け主要な伽藍が復興し、さらには東山天皇(113代天皇)より覚鑁上人に「興教大師」の大師号が与えられました。

根来寺_foundjapan
根来寺_foundjapan

境内にはどんな建造物がある?見る価値ありの重要文化財

根来寺」には重要文化財に指定されている建造物は7棟あります。
本堂である「大伝法堂」と真言宗の開祖・弘法大師を本尊とした「大師堂」、寺を開いた覚鑁上人の御尊像を安置している「光明真言殿」、そして「大門」、「不動堂」、「行者堂」、「聖天堂」です。

そのうち「大伝法堂」は1827年に再建されたもので、内部には本尊の大日如来と両脇に金剛薩埵(こんごうさった)と尊勝仏頂が安置されています。
この三尊も重要文化財に指定されています。

「大師堂」は1391年頃に建てられ、国宝の大塔とともに豊臣秀吉による紀州征伐の焼き討ちから逃れたものです。
「光明真言殿」は1804年の建立で、内部には覚鑁上人のご尊像、左右には歴代座主と歴代藩主(紀伊藩)の位牌が安置されています。
全部の建造物を見るには約90分かかります。

根来寺_foundjapan
根来寺_foundjapan
根来寺_foundjapan

「根来寺」へのアクセス

〒649-6202 和歌山県岩出市根来2286

・JR西日本阪和線和泉砂川駅「砂川駅前」より和歌山バス那賀・特急で「岩出図書館」で下車。根来寺まで徒歩10分
・JR西日本阪和線紀伊駅「紀伊駅前」より和歌山バス那賀で「根来」で下車。根来寺まで徒歩20分。
・南海電鉄南海本線樽井駅「樽井駅前」より和歌山バス那賀・特急で「岩出図書館」で下車。根来寺まで徒歩10分。

RELATED

PAGE TOP