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建築

五稜郭 箱館戦争の舞台 稜堡式の城郭

日米和親条約により開港した箱館。蝦夷地防衛の為につくられた 五稜郭

1853年、黒船に乗ってアメリカ太平洋艦隊司令長官のペリーが来日しました。

ペリーは江戸幕府に開港を要求し、1854年に日米和親条約を締結しました。
これにより、幕府が200年以上にわたって守ってきた鎖国体制が崩壊してしまいます。

幕府が開港場としたのは伊豆半島先端の下田と蝦夷地の箱館でした。
幕府は松前藩から箱館周辺を取り上げ幕府直轄とし、箱館奉行を置きます。
そして奉行所を守るため、西洋式城郭の『 五稜郭 』を築城しました。

築城に携わったのは蘭学者の武田斐三郎(たけだあやさぶろう)
銃や大砲が発達した近代戦に対応した西洋風の城を築城します。
外に突き出た出城のような稜堡(りょうほ)が特徴的。
稜堡が五か所設置されていることから、のちに五稜郭と呼ばれるようになったといいます。
五稜郭の中央には箱館奉行所が配置されました。

旧幕府軍が五稜郭占拠!箱館戦争で旧幕府軍の拠点となった 五稜郭

1868年、薩摩藩や長州藩を中心とする新政府軍と旧幕府軍や奥羽越列藩同盟などが戦った戊辰戦争が始まりました。
『 五稜郭 』では箱館奉行にかわり新政府の清水谷公考が箱館府の総督として赴任します。

1868年10月、榎本武揚率いる旧幕府海軍を主力とする部隊が蝦夷地に上陸。箱館府の守備兵を打ち破って五稜郭に入城します。
旧幕府軍は松前城・館城を占領し蝦夷地から新政府軍を一掃しました。
1869年、新政府軍は松前藩・弘前藩を主力とする軍勢を蝦夷地に差し向けます。

蝦夷地に上陸した新政府軍は圧倒的兵力で旧幕府軍を追い詰めていきました。
1869年5月、箱館湾の海戦で制海権を握った新政府軍は、湾上から五稜郭に向けて砲撃を開始します。
新政府軍の軍艦「甲鉄」に搭載されたアームストロング砲は箱館湾から五稜郭まで十分に届く射程を持っていたため、一方的に砲撃されてしまいます。
弁天台場や四稜郭、千代ヶ岱陣屋など周辺拠点が陥落し孤立した五稜郭は5月18日、新政府軍に降伏し開城します。

戊辰戦争の最終決戦となった 五稜郭 の戦いを今に伝える箱館五稜郭祭とは

「函館市」では、毎年5月に”箱館五稜郭祭”が開催されています。

開催は5月中旬の土日で、五稜郭が開城した5月18日の前後になることが多いですね。
過去の五稜郭祭では、旧幕府軍や新政府軍ゆかりの碑をめぐる「碑前祭」や、土方歳三コンテスト、箱館戦争当時の衣装を身に着けた人々による維新行列、五稜郭の開城セレモニーなどが行われてきました。
新撰組や土方歳三ファンの人々にとってはたまらないイベント内容ですね。
維新行列の最中には、戦闘シーンのパフォーマンスなどもあるので、見どころ満載のイベントですよ。

五稜郭 はどこにあるの?五稜郭へのアクセス方法や施設情報~まとめ~

《所在地》
〒040-0001 北海道函館市五稜郭町44

『 五稜郭 』へのアクセスは、JR函館駅から市電に乗って「五稜郭公園前」の電停で下車。そこから徒歩で10分ほどで到着します。
函館駅発着の「五稜郭タワーシャトルバス」が毎日運航されているので、そちらを利用してもいいと思います。

《開園時間》
郭内入場…5:00~19:00(4~10月)/ 5:00~18:00(11~3月)

五稜郭 の駐車場情報

公式サイト

《オフィシャル》
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014011601161/

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