ぶらり散歩で身近な日本史

建築

松前城 最期の日本式城郭

松前氏による蝦夷地支配と松前城の築城と幕末に行われた大改修

松前町や函館市を含む渡島半島に日本人が拠点を作ったのは室町時代だといわれます。

アイヌとの戦争などで力をつけた蠣崎氏(のちの松前氏)は松前周辺を領有。松前藩の初代藩主となる松前慶広が福山の地に築城します。
これが、『 松前城 』の始まりでした。そのため、松前城は福山城とも呼ばれます。

松前藩は、徳川家康からアイヌとの交易を独占する権利を与えられました。松前城下は交易の中心地として繁栄します。
江戸時代後期になると、松前藩が支配する蝦夷地周辺に外国船が出没するようになりました。幕府は松前藩に命じて蝦夷地の防備を強化させます。
その一環として、『 松前城 』は改修工事が施されました。海に近いことを考慮して、砲撃に備えた壁や砲台なども作られます。
1854年、江戸幕府がペリーとの間で結んだ日米和親条約で蝦夷地の箱館が開港されます。

それに伴って、蝦夷地の大半が幕府の直轄地となり、蝦夷地の中心は箱館奉行が置かれた五稜郭へと移りました。

箱館戦争で戦場となった 松前城 。土方歳三らの活躍であえなく陥落

1868年、江戸湾を脱出した旧幕府海軍を率いる榎本武揚らが蝦夷地に上陸。11月には五稜郭を制圧しました。
土方歳三率いる700の部隊は『 松前城 』に向けて進撃を開始します。

江戸後期の改修工事のとき、正面の大手門方面の防備は強化したものの、背後の搦手門方面の防備は手薄なままでした。
土方は『 松前城 』の弱点を把握し、搦手門から一気に突入します。海上からは榎本率いる海軍が砲撃で土方らを支援。
百戦錬磨の旧幕府軍の前に、松前藩兵は数時間で敗れ去ってしまいました。旧幕府軍により蝦夷地占領を知った新政府軍は蝦夷地奪還を目指します。
1869年4月、江差に上陸した新政府軍は『 松前城 』から出撃してきた旧幕府軍を撃退。新政府軍は『 松前城 』に迫りました。
4月17日、新政府軍は『 松前城 』を攻撃します。兵力差が大きかったことと海からの艦砲射撃の支援により、旧幕府軍は敗走。新政府軍は『松前城』を奪還しました。
その後、5月に旧幕府軍が降伏し、箱館戦争は終結します。

北海道でも屈指の規模を誇る松前公園の桜と松前さくらまつり

現在、『 松前城 』は松前公園となっています。
23万平方メートル以上の広大な土地に1万本以上の桜が植えられている北海道でも屈指の桜の名所なんですよ。

『 松前城 』は昭和に入るまで天守閣が残っていましたが、戦後まもなく火災によって失われました。現在の天守閣は火災後にコンクリートで再建されたものです。

松前城 へのアクセス

《住所》
〒049-1511 北海道松前郡松前町松城144

《アクセス》
・函館から車でおよそ2時間(※かなり距離があるので、時間に余裕をもって訪れたほうがよいでしょう)。
・松城バス停から徒歩で10分

松前城 の駐車場情報

松前城 の公式サイト

お出かけの際には必ず公式サイトを確認してください。
公式サイトは こちら

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