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建築

「大垣城」関ヶ原の戦いの根拠地

 『大垣城』ってどんな城?現在は公園の一部として残っている

大垣城』は現在の岐阜県大垣市にあった平城で、大きく立派な城という意味から麋城(びじょう)巨鹿城(きょろくじょう)という別名をもっています。
築城は1500年頃と言われ竹腰氏が牛屋川「現在は揖斐川(いびがわ)」に築いたのが始まりと言われています(当時は牛屋城と呼ばれていた)。
その後、織田氏・斎藤氏らを経て豊臣政権下では豊臣方の城、江戸時代は譜代大名の城として発展してきました。1586年の天正地震や1873年の廃城令、1945年の太平洋戦争下での大垣空襲などで度々災難に遭ってきました(1936年に天守が国宝に指定されるも大垣空襲で焼失)。
現在は大垣公園として整備され、1959年に鉄筋コンクリートによって復元された天守(郡上八幡城を参考に復元)や乾櫓などが見られます。
2017年に続日本100名城に選定されました。

 関ヶ原の戦いの戦禍に巻き込まれた大垣城!『おあむ物語』とは

1600年10月21日、“天下分け目の戦い”と呼ばれる「関ヶ原の戦い」が起こります。
この戦いの際に大垣城は西軍方の根拠地(石田三成が入城し関ヶ原に出陣している)となり、西軍本隊が関ヶ原に移動後(関ヶ原は大垣城から西に約)は守将・福原長堯(ふくはら ながたか)ら約7500の兵が残ります。
そして、関ヶ原の戦いが起こった10月21日同日に大垣城にも東軍が攻めてきます(大垣城の戦い)。
大垣城の守備兵は兵力で勝る相手に奮戦し、関ヶ原の戦いでの西軍敗北以後8日間も抵抗しましたが、10月29日に降伏を受け入れ開城しました(守将大将・福原長堯は剃髪後に自害)。
また、この籠城期間に体験を著した『おあむ物語』(1711年~1716年頃に成立)という史料が残されています。
「おあむ」とは大垣城の守将を務めていた山田去暦の娘と言われており、城内にはこの娘が脱出するときに登った「おあむの松」という松の木があります。

 『大垣城』の城内には資料館がある!大垣城の歴史に触れよう!

大垣城内は、大垣城や大垣市の歴史が分かる”資料館”となっています。
資料館では関ヶ原の戦い直前に書かれた古文書(宇喜多秀家や島津義弘などの有名武将の名が見られる)、江戸時代以降に実際に使用していた戸田氏(外には戸田氏鉄の銅像がある)の甲冑が展示されています。
また、戦前の国宝時代の大垣城を写した写真、大垣城の城下町や杭瀬川の戦い(関ヶ原の戦いの前哨戦)のジオラマなど見所満載です。

 アクセス

〒503-0887 大垣市郭町2-52

JR大垣駅南口から徒歩7分

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