湯沢城 は、市街地の東にある「古館山(標高200メートル)」の丘陵地帯に築かれた山城です。 その規模は東西約400メートル、南北600メートル。城の西端にある見張台からの眺望がすばらしく、正面に鳥海山、眼下には横手盆地が一望できます。鎌倉時代後期、小野寺氏によって稲庭城の支城として築かれ、稙道(たねみち)の代には小野寺氏の本拠地となったときもありました。
湯沢城 古館山の丘陵地帯に築かれた、そのあらましを知る
『湯沢城』は、市街地の東にある「古館山(標高200メートル)」の丘陵地帯に築かれた山城です。
その規模は東西約400メートル、南北600メートル。城の西端にある見張台からの眺望がすばらしく、正面に鳥海山、眼下には横手盆地が一望できます。
鎌倉時代後期、小野寺氏によって稲庭城の支城として築かれ、稙道(たねみち 1487?~1546)の代には小野寺氏の本拠地となったときもありました。
稙道の子輝道(1534~1597)の代に横手城に本拠地を移しましたが、その後も『湯沢城』は雄勝の中枢として機能しました。しかし、文禄四年(1595)、最上勢の攻撃を受けて落城し、文禄五年(1596)からは最上の武将楯岡満茂(たておかみつしげ)が城主になりました。
関ヶ原の戦いから2年後の慶長七年(1602)、佐竹義宣(さたけよしのぶ)の秋田転封にともない、佐竹南家三代義種(よしたね)が城代として入り城を整備しました。
元和六年(1620)、一国一城令によって『湯沢城』は破却されましたが、本丸、五社壇、馬場、見張台などの曲輪が現在も残されています。
湯沢城 址の歩き方 マップを手に散策コースを順番に歩いてみる
JR湯沢駅内観光案内所・湯沢市役所市民ロビーに「湯沢城址」のパンフレットが置いてあります。その中のマップに散策コースが記されています。
湯沢市役所のホームページ
⇒https://www.city-yuzawa.jp/
にもあります。
1 二の丸跡
二の丸の広さは約36㎡あります。城の東北端に位置していたことから「北の砦」と呼ばれていました。
三方が崖に囲まれていて、自然地形を利用した郭(くるわ)が連なっています。
本丸を中心とした主郭域とは幅4m深さ7mの堀切で分離されていたため、北方からの侵入を防ぐ重要な役割を担っていました。
2 見張台跡
『湯沢城』の西端に位置しています。眼下に雄勝・平鹿の平野部が一望でき、周囲からの侵入に対する監視や対面する出羽丘陵からの烽火(のろし)を確認する場所でした。
3 本丸跡
本丸は東西約80m、南北約30mで、城の中核をなし、陣屋を置いた所です。
江戸時代の元和六年(1620年)に、幕府の一国一城令により破却されるまで、城の主は、小野寺氏、楯岡氏、佐竹氏と変わりました。
4 五社壇跡
本丸の東南に位置し、『湯沢城』で最も標高の高いところにあります。広さは東西10m、南北約20mです。
天照皇大神など五社が祀られ、城主が城地鎮護を祈願したと伝えられています。
5 堀切跡
堀は、敵の侵入を防ぐため、城の周囲に掘られた溝のことですが、山城において尾根を仕切るように作られた堀を掘切といいます。
『湯沢城』には他にも、城域東部に大堀切を、細小路からの大手道の頂上部と馬場の南端にも堀切が設けられていました。
6 馬場跡
城の南部に位置する馬場は、東西約30m、南北約160mの広さがあります。
西南の隅に土手を築いて、弓・鉄砲の稽古場である矢場と星場も備える総合的な武芸訓練の場所でした。
湯沢城 秋田の山城 歴史ロマンへのアクセス・周辺の施設
《所在地》
秋田県湯沢市湯沢字古舘山
《アクセス》
・JR湯沢駅より徒歩 9分
・湯沢横手道路 湯沢I.C.より車で3分
《周辺の施設》
・日本名水百選の「力水」
・見学可能な酒蔵(事前予約必要) 両関酒造 秋田銘醸 木村酒造
・関連する「横手城」まで車で約30分、「稲庭城」まで車で25分。