全興寺 の歴史を紹介
『全興寺』は大阪市平野区にある高野山真言宗の寺院です。
創建年ははっきりしていませんが、飛鳥時代に聖徳太子が薬師堂を建てたのが始まりとされています。
その後、平野の町は薬師堂を中心に発展していき、1467年の応仁の乱以降は戦乱に巻き込まれないように環濠都市(町の周辺に堀を掘った都市)として栄えました。
1614年の「大坂冬の陣」の際には徳川秀忠(第2代将軍)の軍勢が『全興寺』の近くに陣を敷いたと言われています(翌年の「大坂夏の陣」の際に当寺院は戦禍に巻き込まれる)。1945年には、大阪はアメリカ軍による空襲(大阪大空襲、8回行われ一般市民1万人以上が犠牲となる)を受けるも『全興寺』は被このため、現在の境内には江戸時代からの建築物が多数残っています。
江戸時代から残っている「本堂」には首だけの地蔵様
『全興寺』の「本堂」は1576年に建造されたもので、「大坂夏の陣」で一部が焼失するも1661年に再建され現在まで残っています(大阪府内でも有数の古い木造建築)。内部には本尊である薬師如来が安置されていて、1月8日と中秋の十五夜の時にしか開帳されません。
同じく本堂には「首の地蔵尊」という首だけのお地蔵さまが祭られています。なぜ首だけが祭られているのかというと、これは伝説上ですが徳川方と豊臣方が戦った「大坂の陣」が関係しています。この戦いで豊臣方の武将・真田信繁(幸村)は徳川家康の暗殺を企て家康が休んでいた地蔵堂に地雷を仕掛けました。
地雷は信繁の思惑通り爆発しましたが、家康は地蔵堂から席を外しており爆発には巻き込まれませんでした。
この爆発で地蔵堂は吹っ飛び、安置されていた地蔵の首だけが地蔵堂から約300メートル離れた『全興寺』の境内に落ちてきたといわれています(平野の地雷火)。
この首地蔵は8月23日、24日と開帳されています。
全興寺 で「地獄堂」と「ほとけのくに」で地獄と仏の世界を体験
『全興寺』で1番の見所といえば「地獄堂」と「ほとけのくに」です。
「地獄堂」は1989年に設立されたもので、内部には閻魔大王や2メートルある鬼の像が置かれていて、まさしく“地獄”という世界です。
ここでは閻魔大王からの質問に答えると地獄行きか極楽行きかの判定をしてくれるという、その名の通り地獄体験ができます。
地獄体験をしたあとにぜひ行って欲しいのが「ほとけのくに」です。
内部には弘法大師(真言宗の開祖)の像をはじめ約160以上の仏像が置かれていて、床にはステンドガラスでデザインされた曼荼羅があります。
参拝者はこの曼荼羅の上に座り瞑想するなど祈りを捧げられます。
全興寺 へのアクセス
〒 547-0044 大阪市平野区平野本町 4-12-21
地下鉄谷町線「平野駅」から徒歩13分
JR「平野駅」より徒歩13分