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建築

菅谷館 跡 埼玉県嵐山町 複廓式の平城

埼玉県にあります、『 菅谷館 跡』をご存知ですか?
城跡というより館跡なのですが、鎌倉時代築館の館跡です。

あまり有名ではなく、つい見逃してしまいそうな菅谷館ですが、かなり深い歴史が隠されています。
今回は、埼玉県嵐山町にある『 菅谷館 跡』をご紹介します。

『 菅谷館 跡』は誰の住居?歴史は?簡単にくわしく調べてみました!

『 菅谷館 跡』は、埼玉県のほぼ中央に位置する埼玉県嵐山町にある約13万平方メートル(東京ドーム3個分)に匹敵するほどの大きさの複廓式の平城です。
去年の夏に初めて行きましたが、堀跡もありかなり”歩きで”のある城跡でした。

菅谷館は、3期築館に分かれていて、最初に居住したのは、畠山重忠(1164年~1205年)で、大蔵館、畠山館、菅谷館を築きました。
第2期は、南北朝時代に活躍した足利基氏館が築かれ、第3期は、1500年ごろ館は壊され、更地になりました。

現在も確かに館があったかな?という思いで起伏のある土地を見学しました。

そばには川越街道(今は国道254)が走っていて車の往来が激しいですが、一歩菅谷館跡に入ると不思議と静かになり、あまりの静かさに鎌倉時代になってしまったかのような錯覚に陥りますよ。

『 菅谷館 跡』の縄張りはどうなっているの?わかる範囲で調べてみました!

さて、『 菅谷館 跡』の縄張りが気になりますよね?調べてみました!

【本郭】
四方を深い堀と土塁に囲まれていて、容易に郭内に侵入できなくなっています。

【二の郭】
館跡の中央部分にあたり、東西約250m、20~50mの細長い形の郭です。

【三の郭】
東西約260m、南北130mの長方形の郭で館跡内一番大きい郭です。ここでは、井戸跡と建物跡が発掘されました。

【西の郭】
館跡の北西部にあたり、本郭から一番離れている郭です。東西約130m、南北約70mの長方形をしていて北から南にかけて緩やかに傾斜しています。確かに見学していて、凹凸があるなとは思いました。

【南郭】
本郭より一段低い位置の郭で、東西約110m、南北約30mの長方形の小さな郭です。

初代城主畠山重忠のプロフィールをほんの少しだけご紹介します!

畠山氏は、北武蔵の名族、秩父平氏の流れをくみ1164年に父は畠山重能、母は相模の名族、三浦義明の娘の次男として生まれました。
宇治川の合戦一の谷の合戦奥州藤原氏討伐で軍功をあげました。

源頼朝にも厚く信頼されていましたが、北条氏の陰謀により42歳の若さで非業の死をとげました。

続日本100名城にも認定された『 菅谷館 跡(すがややかたあと)』~まとめ~

畠山重忠は、地元の人たちから「しげたださま」と呼ばれ長年、崇拝されてきました。
『 菅谷館 跡』は大正12年(1923年)に県指定史跡、昭和48年には国指定史跡に、最近では、埼玉県城100選に選ばれています。

菅谷館跡内に「埼玉県立嵐山史跡の博物館」もあり、菅谷館のことや畠山氏のことがくわしく紹介されていますよ。
鎌倉時代、畠山重忠に思いをはせ、『 菅谷館 跡』を訪ねてみませんか。

菅谷館 跡 へのアクセス

《所在地》
埼玉県比企郡嵐山町菅谷757

・🚋…東武東上線「武蔵嵐山駅」下車、徒歩15分
※駅から当館行きのバスはありません。駅前のタクシーをご利用ください。
・🚙…【東京方面の方】関越自動車道東松山ICでおり、国道254号線を小川方面へ約10分
【新潟・群馬方面の方】関越自動車道嵐山・小川ICでおり、国道254号線を東松山方面へ約10分

菅谷館 跡 の駐車場情報

菅谷館 跡 の公式サイト

お出かけの際には必ず公式サイトを確認してください。
公式サイトは こちら

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