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「 白河小峰城 (しらかわこみねじょう)」争奪戦を繰り広げた城

戦国武将丹羽長秀の長男で、築城の名手と謳われた丹羽長重による築城

戦国時代、羽柴秀吉や柴田勝家、明智光秀らとともに織田信長配下の軍団長として名を馳せた丹羽長秀
長秀の後を継いで越前・若狭・加賀の123万石を領有したのが丹羽長重でした。
天下人に成長した秀吉は丹羽氏の勢力を削ぐため、長重の領地を12万石まで削ります。
さらに、関ケ原の戦いで西軍に味方したため、一時は所領の全てを失いました。
1603年に陸奥国古渡1万石を与えられ大名に復帰。
大坂の陣の活躍などもあり徐々に加増され、最終的に長重の所領は白河藩10万石となりました。
築城の名手と謳われた長重は、『 白河小峰城 』を東北では珍しい総石垣の城とします。

白河小峰城 』の天守は敷地内の小高い丘の頂上部にあります。
本丸を囲むように二の丸、三の丸、外曲輪が設けられました。
本丸の北側には阿武隈川が控える天然の要害です。

その後、丹羽氏は二本松に移され、『 白河小峰城 』には松平氏などが入ります。
寛政の改革で有名な松平定信は白河藩主でした。
幕末、『 白河小峰城 』は、幕府の直轄領とされます。

戊辰戦争の白川口の戦いで奥羽越列藩同盟と新政府軍が争奪戦を展開

幕末、戊辰戦争の最中に仙台藩や米沢藩、会津藩などの東北諸藩は奥羽越列藩同盟を結成します。
列藩同盟軍の主力である会津藩は、新政府軍の会津攻撃に備えて南東北の重要地点である『 白河小峰城 』を占領しました。
知らせを聞いた新政府軍は急遽北上、新政府軍は陽動作戦で列藩同盟軍の注意を『 白河小峰城 』からそらし、隙を作らせました。
新政府軍は手薄になった『 白河小峰城 』に奇襲攻撃を仕掛け占領します。

白河小峰城 』を占領した新政府軍は列藩同盟軍よりも少数だったため、防御に徹することにしました。
列藩同盟軍は体勢を立て直し、何度も『 白河小峰城 』を攻撃しますが攻略に失敗します。
新政府軍が兵力を増強し、近隣の棚倉城を制圧し、そこから白河城の北側の地域を占領したため、列藩同盟軍は白河城攻撃を継続することができず撤退します。
この時、城内の建物のほとんどが損壊、炎上しました。

東日本大震災で被害を受けたものの、補修が完了した現在の 白河小峰城

現在、『 白河小峰城 』には木造の三重櫓が復元されています。
天守が復元されたのは1991年のことでした。

昭和期に全国各地で復元された天守閣は外側だけをコンクリートなどで復元する外観復元がほとんどでした。
平成に復元された『 白河小峰城 』の三重櫓や前御門は当時の資料にもとづき復元されたものです。
2011年の東日本大震災によって、白河小峰城も大きな被害を受けました。
地震被害が最もひどかったのは石垣です。
2011年から修復工事が開始され、2015年に入城可能となります。
修復工事が完全に終わったのは2019年4月のことでした。

白河小峰城 へのアクセス

〒961-0074 福島県白河市郭内1-73

・JR東北本線白河駅から徒歩10分ほど

詳しくはHPなどでご確認ください。
オフィシャル
http://www.city.shirakawa.fukushima.jp/page/page001390.html

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