ぶらり散歩で身近な日本史

首里城 琉球王国の王宮

首里城 の歴史は?約500続いた琉球王国の首府として栄えた城!

『 首里城 』は沖縄県那覇市首里金城町にある城です。
沖縄の人たちからは「グスク(御城)」または「スク(城)」と呼ばれ、沖縄県を象徴する建造物でもあります。
グスクは本土にある城とは違う性質を持っています。

『 首里城 』は約450年続いた琉球王国(1429~1879)の首府(首都、王宮)として栄え、琉球国王・尚氏のもと政治や日本や中国との貿易で琉球独自の文化を築いていった中心地です。
※尚氏は第一尚氏と第二尚氏に分けられています。

ちなみに、『 首里城 』の各建造物はすべて西側を向いていますが、これは中国の皇帝に対して敬意を表しているからです。
琉球王国は江戸時代になると薩摩藩の支配下に置かれ、明治維新後に正式に日本の一部になりました。

一方、『 首里城 』は江戸時代から何回か焼失しその都度再建されますが、明治時代に入ると日本軍の基地となり、太平洋戦争時には米軍の攻撃を受け建造物は完全に破壊されてしまいます。
しかし、1958年に「守礼門」が再建されると、他の建造物も次々と再建されていきます。

そして、2000年には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一部として世界遺産に登録されました。
※復元された建造物や城壁が世界遺産ではなく、城の跡地が世界遺産となっています。

『 首里城 』の建造物は日中の建築様式が融合!~無料区域編~

『 首里城 』は現在、「無料区域(入園)」と「有料区域(入城)」に分かれていて、それぞれ見所が違います。
無料区域の主な建造物には「守礼門」や「広福門」といった門が中心となっています。また、城の周りを高い石垣が囲っているのも見所です。
おすすめの門は「守礼門」です。

この「守礼門」は首里城で1番最初に復元された建造物で、2000円札の絵柄にもなっています。
守礼とは「礼節を守る」という意味で、中国風の門となっています。

他の門としては第一の門「勧会門」・第二の門「瑞泉門」・第三の門「漏刻門」があります。
これらの門は以下のような意味があります。
歓会門】…中国からの使者を歓迎するという意味。左右にいるシーサーは魔除けのため。
瑞泉門】…瑞泉(ずいせん)とはめでたい泉という意味。門の右手前には「龍樋」という湧き水がある。飲料水として使われていた。
漏刻門】…漏刻(ろうこく)とは中国語で「水時計」という意味。正面には「日影台」という日時計が置かれている。
無料区域には門以外にも見所があるので、マップを確認して観てみてください。

『 首里城 』の建造物は日中の建築様式が融合!~有料区域編~

有料区域には、首里城のメインである「正殿」があります。
正殿へ入る最期の門「奉神門」(ここは無料区域)をくぐると、そこには「御庭(うなー)」が広がっています。
「御庭」は様々な儀式が行われた所であり、正殿へ向かって引かれている朱色の道は「浮道」と呼ばれていて、国王や中国からの使者など限られた人たちしか通れませんでした。
また、左右にある色違いの列は、儀式の時に諸官らが位順に並んでいました。
御庭を中心に左側(北側)にあるのが「北殿」、右側(南側)にあるのが「南殿」・「番所」、そして真正面(東側)にあるのが「正殿」です。
「北殿」はかつて王府としての機能を持っていて大臣らが働いていました。
現在は、王府の仕組みや冊封儀式などを解説する施設となっていて、2000年に開催された沖縄サミットでは「北殿」が晩餐会に利用されました。
「南殿」は、かつては日本風の儀式が行われ現在は資料館となっています。「番所」は首里城へ来た人の取り次ぎをした場所です。
「正殿」は首里城の中心的な建造物で形は中国の宮殿に似ていますが、二層三階建てや柱を龍で装飾しているところは日本や中国になく琉球独自の様式となっています。
他にも、ここでは紹介できなかった建造物もあるので、マップを確認して観てください。

首里城 へのアクセス

《所在地》
〒903-0815 沖縄県那覇市首里金城町1-2

《アクセス》
~バス~
首里駅前バス停から市内線(1、14番)か市外線(346番)に乗車し、首里城公園入口バス停で下車。
首里城下町線(7、8番)に乗車し首里城前バス停で下車。

~モノレール~
那覇空港駅から「ゆいレール」に乗車し、首里駅で下車。徒歩15分。

~自家用車・レンタカー~
駐車場あり

首里城 の駐車場情報

公式サイト

お出かけの際には必ず公式サイトを確認してください。
公式サイトは こちら

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