和歌山城 ってどんな城?「和歌山」という名は豊臣秀吉が命名
「 和歌山城 」は和歌山県和歌山市にある平山城で、現在は史跡として和歌山城公園内に残されています。
1585年に紀州国(現在の和歌山県)を平定した豊臣秀吉(この時は羽柴秀吉)は、弟の秀長に命じて紀ノ川の河口部にあった岡山(現在の虎伏山)に築城させました。
この城が現在の和歌山城の基礎となった城です。
築城後は城代(代理)として秀長の家老・桑山重晴が入り本丸を整備、1596年からは桑野一晴(重晴の孫)が城に入りました。
ちなみに、「和歌山」という名は城の南にあった和歌浦の「和歌」と城を築いた「岡山」を合わせて秀吉が名付けたといわれています。
江戸時代には徳川御三家の1つ「紀州徳川家」の居城として栄える
江戸時代に入ると紀州国には紀州藩が置かれ、「和歌山城」は紀州国の重要な城となり改修や整備が行われます。
中でも徳川御三家の1つである紀州徳川家の初代・徳川頼宣(徳川家康の十男)が藩主となると、砂の丸や南の丸を新たに作るなど大規模な改修を行いました。
この和歌山城の大改修は幕府から警戒され、謀反の疑いをかけられるほどでした。また、紀州徳川家は8代将軍・徳川吉宗(「暴れん坊将軍」など数多くドラマ化された将軍)と、14代将軍・徳川家茂の2人を将軍に輩出し、幕政に大きな影響力を持ちました。
“日本三大連立式天守”の1つに数えられている天守を見に行こう
「和歌山城」の天守は姫路城(兵庫県)や松山城(愛媛県)と並び“日本三大連立式天守”のひとつに数えられています。
連立式は大天守と小天守や櫓を渡り廊下などでつなぎ、空から見ると内側に中庭ができる特徴を持っています。
現在の天守は1958年に鉄筋コンクリート製で再建されたもので3代目にあたります。1代目は1600年または1619年に創建され1846年の落雷により焼失します。
2代目は1850年に再建され1935年には国宝に指定されましたが、1945年の和歌山大空襲で櫓などとともに焼失しました。
ちなみに最初の天守は黒色でしたが、10代藩主・徳川治宝(はるとみ)時代の1789年に白色に改修され“白亜の天守”となりました。
1958年の再建時には白色が使われました。
和歌山城 の見所は天守だけじゃない!石垣を見て城の歴史を感じよう
城に来た際にまず目に入るのが天守や櫓だという方が多いと思いますが、その天守や櫓を支えている石垣も見所です。
「和歌山城」の石垣は、豊臣・桑山期(1585年~1600年)、浅野期(1600年~1619年)、徳川期(1619年~1869年)でそれぞれ違う特徴を持っていて、築城当初からの石垣が良好の状態で残っています。
豊臣・桑山期に築かれた天守付近は「野面積み(のづらづみ)」、浅野期に築かれた平地部分は「打ち込みハギ」、徳川期に築かれた城の西側・南側は「切り込みハギ」が用いられています。
これら石垣を見ることで和歌山城の歴史が身近に感じられます。
和歌山城 へのアクセス
〒640-8146 和歌山県和歌山市一番丁3
JR西日本「和歌山駅」から和歌山バス(0系統または25系統)に乗車し「公園前駅」で下車。
南海本線「南海和歌山駅」から徒歩10分
和歌山城 の駐車場情報
和歌山城 の公式サイト
お出かけの際には必ず公式サイトを確認してください。
公式サイトは こちら