ぶらり散歩で身近な日本史

新発田城 静かな城下町

新潟県新発田市にある『 新発田城 』は、県内で唯一城郭が現存しているお城で、日本100名城にも選ばれています。
他にも新発田市には、清水園や足軽長屋、豪農の邸宅、戊辰戦争の戦場となった場所など、城下町らしい観光地が点在しています。
『 新発田城 』の歴史や魅力と共に、関連した観光地も紹介したいと思います。

新発田藩の初代藩主溝口秀勝と 新発田城 の歴史

『 新発田城 』を最初に創建したのは、上杉謙信の家臣であった新発田重家です。
しかし謙信の後継者である景勝と対立し、『 新発田城 』は落城、重家は自刃しました。
次に城主となったのは、溝口秀勝(みぞぐち ひでかつ:1548年~1610年)という人物。

尾張の出身で、織田信長、豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦いでは徳川方についたようです。
豊臣秀吉の命により1598年に初代新発田藩主になり、越後で起きた一揆を鎮圧するなどの内政につとめました。
『 新発田城 』は1598年から築城をはじめ、1654年、3代目宣直の時代にようやく完成しました。
建築当初は、11棟の魯と5棟の門があったのだそうです。
天守というものはなく、三重櫓が実質的な天守となっていました。

魯上には鯱が三体! 新発田城 の魅力や特徴とは

『 新発田城 』には重要文化財の「新発田城表門」「旧二ノ丸隅櫓」が、当時のまま残されています。
他にも復元された「三階櫓」「辰巳櫓」が見られます。

『 新発田城 』の特徴として最も有名なのは、魯上に三体の鯱が飾られていることです。
普通のお城では鯱は対になっているため二体ですが、新発田城の場合には、三階魯の屋根がT字型になっているために、鯱が三体いるという特徴があります。
しかし残念ながら、現在その場所は自衛隊の駐屯地になっているため、立ち入ることが出来ません。

お濠を挟んだ向かい側にある、新発田城址公園からはゆっくりと眺める事が出来るようになっています。
他にも石垣は隙間なくかみ合うように設計された「切込はぎ」や、雪の降る地域のため「海鼠壁(なまこかべ)」という積雪対策もなされているという特徴がみられます。

そして『 新発田城 』には、以下3つの別名があります。

①「浮舟城」
籠城戦となった場合、近くの川の堤防を切り城の周囲に水を張り巡らし守れるようにしていたため、そう呼ばれています

②「あやめ城」
この名の通り、お城の周りは湿地帯が多く菖蒲がたくさん咲いていたのだそうです。

③「狐の尾引城(狐尾曳ノ城)」
築城に苦心していた長井清左衛門という人物の夢に、信仰していたお稲荷さんの狐が出てきて、尾を使って雪上に図を描き示してくれたという言い伝えから、こういう別名もついています。

城下町の観光巡りを楽しもう

新発田市には、「清水園」「足軽長屋」「市島邸」といった城下町らしい名所があります。それらを詳しく紹介していきたいと思います。

清水園

国指定名勝にも選ばれている清水園は、新発田藩主の溝口氏の下屋敷で「清水谷御殿」と呼ばれていました。
近江八景を取り入れた純京都風の池泉廻遊式庭園となっています。
歴代藩主が茶道に力を注いでいたため、園内には5つの茶室があり、現在でもお茶会が行われています。

足軽長屋

清水園のすぐ近くにある足軽長屋は、その名の通り足軽が住んでいた場所で、当時のままの木造茅葺の建物となっています。
足軽の質素な生活が垣間見える場所でもあります。

市島邸

県指定文化財となっている市島邸。
藩主の溝口氏に随行してきた市島氏により建てられました。市島氏は地域の開発に努め大地主・豪農となった人物です。
戊辰戦争時に一度邸宅は消失しましたが、明治初期に当時の代表建築として建てられた歴史ある邸宅です。

新発田城 へのアクセス

《所在地》
〒957-0052 新潟県新発田市大手町6

《アクセス》
・車の場合
日本海東北自動車道 聖籠新発田I.Cより車で15分
・電車の場合
JR白新線・羽越本線新発田駅より徒歩約20分

新発田城 の駐車場情報

新発田城 の公式サイト

お出かけの際には必ず公式サイトを確認してください。
公式サイトは こちら

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