わたしたちの祖先はどこから来て、どのように時をすごしてきたのでしょうか――。
そんな歴史とルーツに思いを馳せられるのが、全国に残る数多くの古代遺跡です。人々が暮らした生活の痕跡や作り上げてきた道具の数々など、その場所で脈々と生きてきた証が土の中から発掘されています。しかしその全てが保存されているわけではなく、調査が完了したら建築・建設のために取り壊されてしまう遺跡の方が多いのが事実です。
そんな中、その学術的価値から広大な面積が保存され、しかも当時の建物が復元され史跡公園として整備されている遺跡も存在します。その一つが佐賀県の「吉野ケ里遺跡」です。今日は吉野ヶ里歴史公園を散歩してみましょう。
吉野ケ里遺跡とは
吉野ケ里遺跡とは、現在の佐賀県神埼市から同・神埼郡吉野ケ里町にかけて所在する弥生時代の遺跡です。
集落の周囲を濠で囲った「環濠集落」の遺跡として日本最大の規模を誇ります。紀元前5世紀頃~紀元3世紀頃までの約700年間、弥生時代すべての時期で集落は存続しました。
弥生時代前期には2ヘクタールだった環濠集落が、中期には20ヘクタールに、後期には40ヘクタール以上に拡大したことが分かっています。これは、弥生時代を通じて集落が村から国の中心的な地域へと成長していった過程を示しています。
吉野ケ里遺跡は1991年(平成3年)に国の特別史跡に指定され、全国で2番目の歴史公園として、訪れる人々を弥生時代のロマンに誘っています。
また、1986年(昭和61年)から実施されている発掘調査は今も続いており、新たな発見が次々と報告されています。
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吉野ケ里遺跡のここがすごい! おすすめスポット5選
吉野ケ里遺跡は「吉野ケ里歴史公園」として整備され、国営の中心公園として、周辺の環境を含めた総面積は117ヘクタールにも及びます。東京ドーム約25個分の広大な区域であり、一日では全てを見て回ることが難しいかもしれません。そこで、吉野ケ里遺跡の中でも特におすすめスポットをご紹介します。遺跡エリアには、東口ゲートがお勧めです!
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園内マップ:公式サイトより
「環壕集落ゾーン」こんなに高い!? 弥生時代の復元建造物
まず一番のお勧めは、復元された弥生時代の建造物群です。「環壕集落ゾーン」にあり、紀元3世紀頃の弥生時代後期の生活様子を再現したもので、吉野ケ里遺跡を代表するフォトジェニックポイントです。
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中でも「北内郭」と呼ばれる区域には高さ約16.5メートルにもおよぶ高床式3階建ての「主祭殿」が鎮座し、これは弥生時代最大級の建造物とされています。内部はとても広く、1階部分では王と群臣が会議をする様子、2階部分では巫女が儀式を執り行う様子が実物大の人形で表現されています。
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また、「南内郭」には約12メートルの高さの「物見櫓」が4棟、そして竪穴住居を含む20棟の建物が復元されています。
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他にも高床式倉庫など多くの建造物が目を楽しませてくれますが、弥生時代の高層建築はまさしく大迫力といえるでしょう。まさしく『魏志倭人伝』で知られる「邪馬台国」が存在した時代であり、クニと呼べる大きな勢力が各地で発展したことが実感されます。
「環壕集落ゾーン」 貴重な出土品を間近で観察! 埋蔵文化財の展示室
ダイナミックな吉野ケ里の遺跡を見つつ、土中からどのようなものが掘り出されたのか確かめるには「環濠集落ゾーン」の「埋蔵文化財展示室」もおすすめです。
文字通り吉野ケ里遺跡から発掘された貴重な出土品を展示する施設で、当時の人々が手作りして使ったさまざまな道具や器物の実物を間近で観察することができます。
大人一人がゆうに入れるほど大きな土器や、高位の人物のお墓と思われる場所に副葬されていた管玉等の装飾品、また稲の収穫に用いた石包丁等々、弥生時代の人々の息吹を感じられるでしょう。
それぞれの精緻な作りを見て楽しむもよし、実際にどのように使ったのかを考えるのもよし、いわば古代の民具を通して歴史に思いを馳せるのも醍醐味の一つですね。
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特に石包丁はその名のイメージから切るための道具と間違われやすいようですが、これと指で稲の穂を挟んで摘み取る「穂摘具」の一種であることを念頭に観察すると収穫の様子を想像しやすいでしょう。
また、室内展示のため少しお散歩に疲れたり、日差しや冷えを避けたりしたいときに入館するのもおすすめです。
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「古代の森ゾーン」 弥生人ここに眠る、 約500基の復元墓列!
「古代の森ゾーン」では、弥生時代の人々が眠る壮大な墓列が復元されています。
ここでは、大きな甕を2つ組み合わせて棺とする「甕棺墓(かめかんぼ)」と呼ばれる弥生時代特有の墓が特に目立ちます。吉野ケ里遺跡からは約3,000基の甕棺墓が発掘されており、そのうち約1,000基が古代の森ゾーンで見つかり、およそ500基が約300メートルにわたって復元されています。
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多くの時代でお墓はとても丁寧に作られることが多いため、保存状態がよくさまざまな副葬品を伴うケースがあることから、歴史を知る上で貴重な手がかりが得られる遺跡の一つです。
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大切な人を悼む気持ちはいつの時代も同じであることを感じられます。吉野ケ里遺跡は弥生時代のネクロポリス(墓地)としての一面を示しています。古代の人々の生活や信仰、社会的構造に触れることができ、太古のロマンに思いを馳せることができます。
「古代の森ゾーン」弥生の植生を再現! 古代植物の森
同じく「古代の森ゾーン」では、その名の通り弥生時代の植生に近付けた森が再現されています。
コナラやクリ、シイやカシなど食べられる実のなる樹々が繁っていたと考えられており、当時の植生に近い樹林を植物だけではなくさまざまな生物を含む土壌と一緒に移植する「生体移植工法」が用いられました。
弥生時代といえば稲作の開始でお米を食べるようになったことがよく知られていますが、不作や食糧難の際にはどんぐりなどの堅果類も貴重な食料になったと考えられています。
そうした恵みをもたらす森はまさに命綱でもあり、古代の食に思いを馳せつつお散歩するとまた違った景色に映るのではないでしょうか。
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「古代の原ゾーン」アクティビティも楽しめる!
吉野ケ里遺跡は「公園」でもあり、歴史が好きでなくても楽しめる場所です。
「古代の原ゾーン」には約6ヘクタールのオープンスペースである「弥生の大野」があり、さまざまなレクリエーションを楽しむことができます。ここではグラウンドゴルフやディスクゴルフなどのスポーツを楽しんだり、バーベキューなどの野外炊事をしたりするコーナーも整備されています。
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さらに古代の原ゾーンでは古代の水田が復元されており、古代米の一種である赤米が栽培されています。こうした場所で古代の空気を感じながら、アクティビティを楽しんだり、ゆったりとしたペースでお散歩したりするのも魅力です。
吉野ケ里遺跡は学術的にも高い価値を持つ遺跡ですが、現在はまだ世界遺産に登録されていません。ただ、日本の古代遺跡が世界遺産に登録される例が増えており、吉野ケ里遺跡もその推進活動が続けられています。将来、世界中の人々が訪れる場所になる可能性もありますね。
まとめ:吉野ケ里遺跡の保存は奇跡だった? 史跡整備までのドラマとは
いかがでしたでしょうか。
吉野ケ里遺跡は、弥生時代700年の歴史を保存する、まさにタイムカプセルのような存在です。この大遺跡が現在も残っているのは、保存運動に情熱を注いだ人々の努力の賜物です。
実は1982年(昭和57年)、吉野ケ里遺跡は工業団地として開発されることが決定していました。しかし、この遺跡の重要性を訴えたのは、当時在野の考古学者で中学教諭だった江永次男氏でした。遺跡の発見者である七田忠志氏が前年に亡くなり、江永氏は彼の遺志を継いで遺跡の保存に尽力しました。
数々の困難を乗り越えた末、その運動は広がりを見せ、奇跡的とも言える遺跡の保存が実現したのです。このような歴史にも思いを馳せながら、ぜひ吉野ケ里遺跡をゆったりとお散歩してみてください。
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吉野ヶ里歴史公園 アクセス情報
住所:佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
TEL:0952-55-9333
開園時間:9:00~17:00(6月1日~8月31日は~18:00)
休園日:12月31日、1月の第3月曜日とその翌日
利用料金:大人(15歳以上)460円/中学生以下無料/シルバー(65歳以上)200円
電車
最寄駅:長崎本線
JR吉野ヶ里公園駅(公園東口・メインゲートまで徒歩約15分)、またはJR神埼駅(公園西口・遊びの原 まで徒歩約15分)
JR博多駅
↓鹿児島本線、長崎本線(特急約20分、快速約30分)
JR鳥栖駅
↓長崎本線普通列車
JR吉野ヶ里公園駅(約14分)、JR神埼駅(約17分)
バス
高速バス
福岡空港 11:20発 佐賀第二合同庁舎行きバス → 吉野ヶ里歴史公園前 1,260円 約52分
佐賀駅 12:00発 福岡空港国際線行きバス →吉野ヶ里歴史公園前 530円 約25分
路線バス
佐賀駅 西鉄久留米または信愛学院久留米 行きバス→ 田手・吉野ヶ里歴史公園南 530円 約40分
西鉄久留米駅 佐賀第二合同庁舎行きバス→田手・吉野ヶ里歴史公園南 580円 約40分
車
駐車場は東口(普通車540台)、西口(普通車310台)、北口(普通車230台)と3ヶ所にあります。料金は310円です。