「 丸亀城 」ってどんな城?安土城や大坂城を手本に築城
「 丸亀城 」は香川県丸亀市にある平山城で、別名、亀山城(標高66mの亀山にあることから)または蓬莱城(ほうらい)と呼ばれています。蓬莱とは、古代中国の神仙思想で仙人が住むといわれている地です。
この城は、1597年に讃岐国を与えられた生駒親正が、高松城の支城として亀山に城を築城したのが始まりとされています。この地には室町時代初期に砦が築かれていました。
生駒親正は、安土城や大坂城を手本に築城をし、城郭以外にも武家屋敷などの城下町造りを行いました。
また城郭だけでなく城下町までも堀や土塁で囲んだ「総構え」という城造りは、安土城や大坂城を手本にしたとものと言われています。
現在の「丸亀城は、江戸時代の1660年に建てられた「御三階櫓」が、天守(重要文化財)として本丸にあり、「現存12天守」の1つとして残っています。
城跡は国の史跡に指定され亀山公園となっているほか、「大手一の門」(重要文化財)・「大手二の門」(重要文化財)・「藩主玄関先御門」(県指定文化財)・「番所」・「御篭部屋」・「長屋」が残っています。
「 丸亀城 」の見所は総高日本一の美しい石垣
「丸亀城」を見に来た際に1番に注目して欲しいのが”石垣”です。
この城は”石垣の名城“としても知られ、城外から城を見るとその美しい石垣に圧倒されます。
とくに、城の北側から見ると天守と石垣がはっきりと見え、城を攻める兵の気持ちが感じられるのではないでしょうか。
「丸亀城」の石垣は山麓から山頂まで4重に重ねられており、一番高いところで総高60mにもなり、総高では日本一となっています。
(単体では大坂城の石垣約33mが日本一です。)
この城の石垣の種類には以下のようなものがあります。
- 切り込みハギ・・・石の合わせ口を隙間無く積んでいる。栃ノ木御門後の櫓台に見られる。
- 鏡石・・・城の重要な箇所に魅せる形で用いられる。大手二の門をくぐった先に見られる(2mを越える石)。
- 野面(のづら)積み・・・自然の石を組み合わせた石垣(乱積みとも)。城の南東側の山麓で見られる。
- 打ち込みハギ・・・割って加工した石を用い一列に配列する。城の大部分で見られる。
- 高石垣・算木(さんぎ)積み・・・長い石と短い石を交互に組み合わせ勾配を作る。北側には高さ20mの石垣が見られる。
これらの石垣以外にも、雨水を排水するための排水口がある石垣が、本丸東側、三の丸東側・北側・西側など城のいろんなところで見られます。
「 丸亀城 」破却の危機と高松藩第3代藩主・生駒正俊の嘘
「石垣の名城」として知られている「丸亀城」ですが、一時期、城が無くなるかもしれない出来事がありました。
それが、1615年に幕府より出された”一国一城令”です。
この一国一城令により丸亀城があった高松藩の第3代藩主・生駒正俊(生駒親正の孫)は高松城以外の城を廃城することにします。
この時に藩主・生駒正俊は、丸亀城を樹木で覆い隠し立ち入りを制限します。そして、幕府には”廃城した”と嘘の報告をしました。
1640年の生駒騒動(お家騒動、家臣同士の対立)で、生駒家が取り潰しされる際に「丸亀城」の存在が幕府に知られてしまいます。
しかし、1641年に生駒氏の代わりとして来た山崎氏が、丸亀城を拠点に丸亀藩を立藩すると、城は幕府の許可を得て1645年から改修が行われました。
そして、明治維新後の廃藩置県まで「丸亀城」は改修・移築なされました。
名城「 丸亀城 」石垣崩落の修復状況は?最新の情報を確認してください。
「丸亀城」では平成30年に起こった石垣崩落復旧工事が、令和6年3月末までの5カ年計画で行われています。
公式ホームページにて、石垣修復情報が掲載され修復完成までを見守ることが出来ます。修復された石垣は白く輝いています。
「 丸亀城 」へのアクセス
〒763-0025 香川県丸亀市一番丁
・JR四国予讃線の「丸亀駅」から南に徒歩10分。
・善通寺IC・坂出ICから約20分。