豪徳寺 開運招福や商売繁盛をもたらす縁起の良い置物といえば、招き猫。片手を挙げて福を招く猫の姿はユニークで愛らしいと、外国の人からも人気があります。その招き猫の発祥の地の一つである、世田谷区の閑静な住宅街の一角にある豪徳寺。滋賀県彦根市井伊家の江戸の菩提寺でもあり、このお寺の招き猫が彦根市のゆるキャラ「ひこにゃん」にも繋がっています。たくさんの招き猫に出会え、福が貰える豪徳寺をご紹介します。
豪徳寺 の歴史
彦根藩主井伊家の菩提寺
1480年、北条氏の家臣で5代目世田谷城主・吉良政忠が叔母を弔うために城内に創建した「弘徳院」が豪徳寺の前身の寺です。北条氏が滅亡すると世田谷城は廃城になります。
1633年に、この地は彦根藩の領地となり、彦根藩主・井伊直孝が荒廃していた寺を、江戸の菩提寺として相応しいように伽藍の整備に取り掛かります。
1659年、直孝が没すると法号に因み、寺は「豪徳寺」と改められます。彦根藩主・井伊家の菩提寺として伽藍の中心となっている仏殿は1677年に建立されたものです。境内の一画にある井伊家の墓所は、滋賀県彦根市にある清涼寺、東近江市にある永源寺の井伊家の墓所と共に、「彦根藩主井伊家墓所」として国の史跡に指定されています。仏殿、梵鐘、仏像をはじめとした井伊家ゆかりの文化遺産が多くあります。江戸時代の大名墓所をそのまま現在に伝えています。
豪徳寺 の招き猫
招き猫
招き猫は、日本の伝統的な縁起物の一つで、猫の形をした置物のことです。招き猫は、お店や商売繁盛を祈願して、玄関や店先などに飾られます。
招き猫は、左手または右手を上げている姿勢があります。左手を上げている招き猫は、お客様を招くとされ、右手を上げている招き猫は、金運や商売繁盛を招くとされています。
招き猫の起源は不明ですが、江戸時代には既に存在しており、商人たちの間で愛され、広まっていきました。また、猫は縁起物として古くから日本で重要な存在であり、猫が商売繁盛や幸運をもたらすという信仰も広まっていました。
豪徳寺の招き猫は小判を持たずに右手を挙げています。境内の愛らしい招き猫が多くの参拝者を招いており、たくさんのご縁をもたらしています。
招福殿
本堂横には、招き猫が集まる招福殿があります。
招福殿には大小様々な招き猫の置物が奉納されており、1,000匹もの招き猫がずらりと並んでいる様はまるで別世界に迷い込んでしまったかのようです。その光景は、一度目にすればいつまでも忘れられない招き猫の楽園。
実は、これらの招き猫は、すべて参拝者が奉納したもの。招き猫には願いを叶えてくれる力があるとされており、願いが叶ったあとに豪徳寺へ奉納するとさらに幸運が訪れるとも考えられています。そのためこれほどたくさんの招き猫が、ここ豪徳寺に集まっているのです。
豪徳寺と猫の関係は、井伊直孝公が狩りの帰りに手招きをする白い猫に導かれて寺の中に入り雷雨を避けることができたことに始まります。
招き猫は豪徳寺の受付で買うことができ、オススメは、おみやげにピッタリの小さい招き猫。どのサイズでもご利益は同じなので、自分好みのサイズの招き猫を選びましょう。また、招き猫以外にも家内安全や商売繁盛のお札やお守り、招き猫とその年の干支の動物が描かれた絵馬なども販売されています。
ひこにゃん
ゆるキャラとして不動の人気を誇る滋賀県彦根市の「ひこにゃん」。
ひこちゃんは井伊直孝公をお寺の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられる”招き猫”と、井伊家のシンボルである「赤備えの兜」を合体させて「ひこにゃん」が誕生しました。豪徳寺と猫の始まりも前述した通り同じです。
招き猫が繋げる豪徳寺とひこにゃんの輪です。
豪徳寺 のほかの見どころ
仏殿
山門から真っ直ぐ進むと格式ある建物を目にすることが出来ます。この仏殿は豪徳寺伽藍の中心的な存在で、延宝5年(1677年)に建立されました。
仏殿を寄進した井伊直孝の長女・亀姫である掃雲院が、黄檗(おうばく)僧に帰依していたため、黄檗宗の建築様式が随所に見られ、板状の絵様肘木(えようひじき)は黄檗系寺院でも見ることがない珍しいものということです。
豪徳寺は宝永元(1704)年に火災にあっていますが、仏殿は被災を免れました。
梵鐘
梵鐘は、近江大掾(だいじょう)藤原正次、通称釜六によって、延宝7年(1679)に制作されました。仏殿と同じく井伊直孝の娘である掃雲院が、父直孝の冥福のため寄進しました。
世田谷区内最古の梵鐘は平成12年(2000年)に世田谷区指定有形文化財の指定されています。
井伊直弼墓
井伊直弼は彦根城で藩主井伊直中(いいなおなか)の14番目の息子として生まれました。
35歳で彦根藩主となり、幕末に開港か攘夷かと揺れる1858年、43歳のときに、幕府の大老に就任します。
直弼は、天皇の許可を得ないまま日米修好通商条約を締結し、将軍家定の跡継ぎを紀州藩の徳川慶福と定めます。そして安政の大獄でそれらに反対した人々を弾圧しました。
そのため桜田門外の変である1860年3月24日、江戸城に向かう途中、桜田門のそばで暗殺されました。直弼の亡骸は井伊家の菩提寺である豪徳寺に埋葬され、現在墓所は東京都の史跡に指定されています。
豪徳寺 へのアクセス
所在地
東京都世田谷区豪徳寺2-24-7
TEL:03-3426-1437
拝観時間
6:00~18:00(3月下旬〜)
6:00~17:00(9月下旬〜)
最寄りの駅
東急世田谷線「宮の坂駅」から徒歩5分
小田急線「豪徳寺駅」から徒歩15分
駐車場
境内には参拝者専用無料駐車場が20台ほどあります。山門の右側に駐車場への入り口のゲートがあり、石畳の道を標識に従い進んでいきましょう。歩行者のかたがいる敷地内となりますので安全運転で。
豪徳寺 公式ホームページ
豪徳寺お越しの際には公式サイトをご確認ください。
豪徳寺公式サイトこちらから