京都と言えば、世界中から観光客が集まる大観光都市の1つです。連休ともなれば、地元民より観光客の方が多い場所も少なくありません。
今回散歩していくのは、京都の中でも観光地とは少し違う雰囲気を持った西陣の地。この地名は応仁の乱の頃、西軍が本陣を構えていたことに由来しています。また、高級な着物などに用いられる西陣織も、この地域で作られています。西陣地区は、地元民に愛された寺社仏閣が多く残る場所。
さっそくそれらを巡り、観光地とは少し違う雰囲気の京都を散策していきましょう。
京都散歩 洛中・西陣散歩 今日のルート
A.堀川今出川バス停
B.晴明神社
C.白峯神宮
D.首途八幡宮
E.手織ミュージアム 織成舘
F.釘抜地蔵
G.千本上立売バス停
京都散歩 洛中・西陣散歩スタート
A.堀川今出川バス停
今回の散歩の始まりは、堀川通と今出川通の交差点の南寄りにある堀川今出川のバス停から。堀川通に面するバス停で、すぐ横には西陣で作られた小物などが買える西陣織会館があります。
堀川通は、京都市内を走る通りの中でも、かなり大きなものの1つ。広い道幅に多くの自動車が走り、繁華街がある四条通や河原町通とは全く異なる雰囲気を持つ道です。とはいえ、広い歩道があり、街路樹に囲まれているため、ゆったり安全に歩くことができます。
さっそく、堀川今出川のバス停を南に歩いて行きましょう。少し歩くと、右側に鳥居が見えてきます。この鳥居の奥に、最初の目的地である晴明神社があります。
B.パワースポットとしても有名な晴明神社
「陰陽師」という小説をご存じでしょうか。作家の夢枕獏が書いた物語で、漫画化や映画化された作品です。特に、映画は何度か制作され、テレビなどでも放送されたことから、見たことのある人も多いことでしょう。
こうした「陰陽師」シリーズの主人公は、日本屈指の陰陽師である安倍晴明です。そして、晴明神社は安倍晴明を祭神として祀る神社です。
晴明神社の創建は1007年。安倍晴明の屋敷があった場所に、氏子たちの手によって建てられたと言われています。厄除けや魔除けといったご利益を持ち、長らく地元の人々の信仰を集めていました。やがて、先に挙げた作品群により知名度が上昇。現代ではパワースポットとして、多くの人々が訪れる神社となっています。
晴明神社は小さな神社ではあるものの、境内には見どころがぎゅっと詰まっています。特に、旧一条戻り橋と晴明井は見ていくようにしましょう。
安倍晴明はその力の強さから、多数の式神を操っていたとされています。しかし、彼の妻は式神を恐れており、安倍晴明は式神たちを橋の下に住まわせました。その橋を昔の欄干を用いて再現したものが、旧一条戻り橋です。堀川通を少し歩けば一条戻り橋がありますが、これは平成に入ってから架け替えられたものです。
晴明井とは、安倍晴明が持つ力によってわき出したとされる井戸です。晴明井には陰陽道でおなじみの五芒星が描かれており、そこから湧き出る水は、病気平癒にご利益があると言われています。
その他、リアルな桃をかたどった厄除け桃や安倍晴明像などを見てお参りが終わったら、次の目的地に向かいましょう。
晴明神社を出て左手に、堀川今出川の交差点まで進みましょう。信号を渡り、左に折れて進んで行きます。少し歩くと、左手に白峯神宮の鳥居が見えてきます。
C.スポーツにご利益がある白峯神宮
江戸時代に書かれた怪異物語に『雨月物語』というものがあります。この中に、「白峯」という一遍があり、西行法師と怨霊になった崇徳天皇の邂逅が描かれています。
また、日本には三代怨霊と呼ばれる、いわゆる祟り神となった3人の人物がいます。それが、平将門、菅原道真、そして、崇徳天皇です。白峯神宮は、上記のことから分かる通り、崇徳天皇を主祭神として祀る神社です。
白峯神宮は1868年に創建されました。土地は元々、蹴鞠や和歌の宗家である飛鳥井家の屋敷があった場所であり、その縁から、「まり」の守護神である精大明神も祀られています。
平安時代のスポーツと言えば、蹴鞠ですよね。また、「まり」の守護神が祀られ、蹴鞠の宗家の跡地に建てられたことから分かる通り、白峯神宮はスポーツ系にご利益があるとされています。スポーツの上達を願う人の参拝が多く、本殿では奉納されたボールを見ることができます。
毎年4月14日と7月7日に行われる祭りでは、蹴鞠の奉納が行われ、平安時代の雰囲気を感じられるでしょう。30分の蹴鞠体験もできるため、日付や時間の都合がついた場合は、ぜひ参加してみてください。
境内の見学が終わったら、次の目的地に進みます。
白峯神宮を出て右へ、堀川今出川の交差点に戻りましょう。交差点をまっすぐ渡り、そのまましばらく直進します。3つ目の信号(智恵光院通)を右へ曲がると、左手側に首途八幡宮が見えてきます。
D.源義経が参った古社、首途八幡宮(かどではちまんぐう)
首途八幡宮はごく小規模の、公園に隣接した神社です。しかし、規模は小さくとも、歴史は長い歴史を持つ神社の1つ。
首途八幡宮がいつ頃に創建されたのかは定かではありません。語り継がれている話では、大分県にある宇佐神宮から勧請された誉田別尊(ほむたのすめらみこと)を主祭神としています。元々は内野八幡宮と呼ばれており、平安京の鬼門を守る、重要な役割を果たしていました。
源義経がまだ牛若丸と名乗っていたとき、鞍馬寺を出て奥州平泉(今の岩手県)に旅立つ際、この神社を訪れて道中の安全を祈りました。「首途」とは、出発や旅立ちといった意味を持ちます。それ以来、内野八幡宮は首途八幡宮と呼ばれるようになり、旅の安全にご利益があるとされています。
内野八幡宮が首途八幡宮と名前を変えたのには、源義経が深く関わっています。
首途八幡宮の境内には、義経が奥州に旅立ったことを示す石碑などが立っています。参拝のついでに見てきましょう。
参拝が終わったら、次の目的地へと向かいます。
首途八幡宮を出て左の方向へ、住宅地の中を進んで行きます。2筋目の通り・上立売通を左へ進みましょう。この道は塀に囲まれており、かなり細めの道となっています。
少し歩くと、弘法大師が開いたことで知られる雨宝院が見えてきます。ここの参拝は次の機会にして、さらに先へと向かいましょう。右側に綺麗な石畳でできた通り・浄福寺通があります。この通りに入ってすぐ、左側に織成館が建っています。
E.西陣織を堪能できる手織ミュージアム 織成舘(おりなすかん)
西陣織と言えば、京都が誇る高級絹織物です。色とりどりの糸を用いて織られていることが特徴で、その美しさは世界的に高い評価を受けています。着物好きの人であれば、一度は憧れたことがあるのではないでしょうか。
織成館は、そんな西陣織と、全国の織物の世界を堪能できる博物館です。
織成館の見どころは、復元された江戸時代の能装束。この能装束は西陣織でできており、きらびやかな美しさを放っています。また織成館では、手織り体験も可能です。時間と料金が掛かってしまうため、暇なときにでも、ぜひ体験してみてください。
その他、織成館ではテーマに沿った時代衣装のコレクションを見ることができます。その時代の空気感と美しい織物の世界に、じっくり入り込むことができるでしょう。
織成館を出て、左の方向へ。先に歩いた石畳の道を進みながら、最後の目的地へと向かいます。 最初の十字路を右へ。また、住宅地の中を進んで行きます。しばらく歩くと広い道・千本通に出ます。この道を右へ曲がり、しばらく歩くと右側に釘抜地蔵が見えてきます。普通の民家に囲まれ、奥まった形のため、少し見つかりにくいかもしれません。
F.いろいろな「苦」を取り除いてくれる釘抜地蔵
釘抜地蔵は、正式名を「石像寺」といい、819年に弘法大師によって開かれたとされています。心や体のあらゆる苦しみを取り除いてくれることから、古来より地元の人々から信仰を集めていました。
名前にある「釘」とは、人が抱える苦しみを表すもの。釘が何かの因果で刺さったことにより人は苦しむと伝えられています。元々は「苦」を「抜く」ことから「苦抜地蔵」と呼ばれていましたが、それが訛り、釘抜地蔵になったという話も残されています。
釘抜地蔵では、助けてもらったお礼として、釘抜と共に八寸釘を張り付けた絵馬を奉納するのが慣例となっています。現在でも地蔵堂では、大量に奉納された絵馬を見ることができます。
もし何か悩みや苦しみがあるのなら、ぜひ、心静かにお参りをしてみましょう。お地蔵様が助けてくれるかもしれません。そして、お礼を忘れないようにしましょう。
参拝が終わったら、今回の散歩のゴール地点へ向かいます。
G.千本上立売バス停
釘抜地蔵を出て左の方向へ。広い千本通を歩いて行きましょう。交通量は多いものの、広い歩道があるためゆったり歩くことができます。
最初の信号をこえ少し進むと、左手に千本上立売のバス停が見えてきます。このバス停からは、京都駅だけでなく、京都最大の繁華街である四条河原町に向かうバスが出ており、便利なバス停となっています。
さて、今回の散歩はここで終わりにしましょう。お疲れ様でした。
京都散歩 洛中・西陣散歩のおさらい
A.(スタート)堀川今出川バス停
↓ 130m
B.晴明神社
↓ 350m
C.白峯神宮
↓ 600m
D.首途八幡宮
↓ 400m
E.手織ミュージアム 織成舘
↓ 500m
F.釘抜地蔵
↓ 140m
G.(ゴール)千本上立売バス停